最近は、ギャンブル依存やスマホなどを媒体にしたゲーム依存など、また、覚醒剤や薬物などの依存などが、いろいろと話題になりますが、依存症は、物質依存、プロセス行動依存、対人依存と、三種類に大きく分類されます。
暴力行為や感情の爆発なども、アディクションになります。宗教や、スポーツや、仕事や食事とか、性的行為や、車の運転や、人間の生活に関する事柄には全て関わります。
また、対人依存もあります、支配し支配される関係性で、時にそこに暴力などが、介在したりして、非常に人心を、傷つけ侵害します、最近の子供虐待では、子供の死亡例も多く、慢性的に感情と暴力にアディクトした結果だとも言えます、また、バタードワイフなどという、殴られ妻という言葉もあるのですが、暴力を振うパートナーから自分や子供の身の安全を適切にできないで、つまり正当な自己防衛をしないで、暴力や暴言を加えて傷つけてくる相手から離れられ無い人もいます。それを共依存などともいいます。
依存症者の依存の程度をより深めてしまう人をイネーブラーともいいます、
助け役という意味ですが、依存症者の依存症に勇気を持って誠実に向き合わないで、ただ依存症者に依存して、逆に支えてしまっている人です。
いろいろと依存症とか嗜癖とかアディクションの問題は奥が深くて、勉強のしがいがある分野です。
でもまあ、依存症について、
簡単に言うと、
依存症は、基本的には脳の病気だという事です。
また、心身に悪影響を与えるのだという事です。
依存症とか嗜癖、アディクションについての治療や回復のフロンティアは、アメリカです、アルコール依存症に関しての研究が先に進み、他の依存症のリハビリとリカバリーの方法も研究され、各地で実践されています。
依存症は、根性では治せない病気です。
意志が全く働かない病気だからです。
依存症は、進行性の病です、一番治療が困難な病気です。
自分で自分が病気なんだと受け入れない、否認の病だからです。
例えば、アルコール依存症は、飲酒すると人格変化や暴力や暴言、また、感情の起伏が激しくなるなど、さらには、自分の飲酒時の言動が思い出せないなどの記憶障害があるならば、要注意です。ブラックアウトといいます。アルコール飲酒は、飲みはじめには、脳内麻薬であるドーパミンが多量に放出される為に快感を得ます、最近の脳の研究で判明しています、次に、アルコールの作用により、脳の中枢の働きが抑制されます、そして、脳の機能が低下します、学生さんなどの多飲酒による急性アルコール中毒では死亡例もあります、これは心臓や呼吸などを司る脳内の中枢機能がアルコールにより急激に抑制され停止してしまったからです、
また、中には、嘔吐して自分の吐瀉物で窒息して死亡ていう事例もあります。
これは中毒で、依存症とはいいません。
また、ウェルニッケ症と言われるアルコール性の認知症や幻覚妄想状態が出現すりアルコール性精神病などもあります、
また、若い人などは、薬物や覚醒剤など、また、オピオイドなどのモルヒネ系の鎮痛剤などの慢性使用により、薬物の過剰な摂取や過剰な使用により、やはり脳への急激なダメージにより死亡してしまう事例も多いです。
依存症は、病気です、性格とか、意志の問題ではありません。
適切な治療と専門の支援が必要です。
依存症からの回復には、自己覚知がどうしても必要ですし、また、依存症者の当事者グループもあります、匿名のグループで、セルフヘルプグループです。日本語では、自助グループともいいます。
依存症からの回復には長期間かかります、
依存症には、完治で無くて、回復のプロセスを歩んで行くからです。
ゆえに、自分の特性や脆弱性、自分の弱さをよく知って、自分を大切に大事にする為の、具体的な対応方法や対処法を知り、獲得して行く事のプロセスでもあるのです。
自分の、心の癖、考え方の習慣や、物事の捉え方の癖や認知の偏りなどを、よりよく改善して行く事でもあります。
依存症からの、回復は、心身の回復です。
ソブラエティ、
しらふの人生といいますが、
それを求めて、今日一日の精神で、依存症を抱えて自己回復を目指している人々もいます。
そういうセルフケア、セルフヘルプの方法もあります。
依存症の要因は様々です、過去の心身の傷が要因になっている場合も多いです。
トラウマからの一時的な解放や心身の苦痛の緩和を求めて、何かに耽溺して、結局は、自分の心身を傷つけ侵害してしまうとい過程です。
適切なセルフケアは、他者との関わりでも、有効に発揮できます。
また、その適切なセルフケアは、セルフディフェンスにも繋がります。
自己について内省する自己覚知は、人が生きるには非常に重要な事柄です。
己を知る事ですが、なかなか作業としては苦しく困難さも伴いますが、
自己を究明して、糾明して、自分の弱さや、脆弱性を誠実に受け止める謙虚な心を養い育む事も、人生修養では大切な項目です。
徳とは、善い習慣です。
直ぐに、技を獲得できないのと同じです。
人は急に変わる事はなかなか難しいです、しかし、少しずつより良くなろうとして、自分に取り組む事もできます、最善を目指しつつ、希望して、一歩一歩、自分にめげないで、忍耐をも、養いながら、歩む事です、
明日はどうなるか分からないけど、今日一日をよりよく過ごそうとして自己に取り組み努力はできますから、挑戦してみるのが賢明だと思います。
そういう依存症からの回復の事柄について考えても、大山倍達総裁が創出した極真空手の修養精神の内容というのは、とても素晴らしいものだなと以前から思っていました。
ソーシャルワーカーの奥田力
(社会福祉士、精神保健福祉士)
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