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自殺に関しは、具体的な対応は様々です。

生き辛さに関しては、
日本は人が生き辛さを自分達で生み出しているのは事実です、

それを空手のように板割りや瓦割りのように割れたりは出来ません。

なかなか生き辛さという課題や問題は
即決は難しいです、

個人だけの問題で無いのは明確なのです、

ですから、今よりも少しでもより良く善くです、はじめから諦めて放棄していたら事実と現実を回避している人生ですから、それは何も改良も改善も無くしてしまう人生になってしまいます。ただの消費活動でお終いです。
それは虚無の存在でしかありません。

ですから、地道な毎日の今日一日の積み重ねが非常に大切で大事です、


要するに何事も究極を目指して実際に行為する実践です、至高善を求めるのですから
全てに、直ぐには困難で、まさに山登りのようなものですから、狭い道を一歩一歩あゆみます、
それは社会福祉の価値基盤でもっとも大切な基本的価値の一つです。

社会福祉とは一人一人の至福を得る事を目指す取り組み、実践でもあります。

最近は自殺する方が増えています。
特に女性が加増しています、

要因は様々です。

死にたいという気持ちがあるならば、
どうか適切な相談者、支援者に
打ち明けて下さい。

何も恥ずかしい事柄ではありません。

各都道府県には精神保健福祉センターや地域の保健所の精神保健の専任の保健師さんもいます。

また、地域の福祉の生活支援のセンターや
機関でも、相談は受付ます、


自殺のリスクは、誰にもあります。

また、身体の病気や障害などを抱えている方や脳神経の機能に支障を抱えている方や
物質使用障害のある方やギャンブルに依存していたり、家庭家族関係の支障を抱えている場合なと、
女性は産後などにうつ病を抱えてしまう方もいます、

心の病というのは
脳神経の機能の支障によりますから
その為に認知機能にも支障を抱えてしまいます。

脳神経は複雑な働きが同時に働いていますし
全身の肉体の状態と深く結ばれて、相互作用があります、

ですから何か身体の疾患や不都合があればやはり脳神経の機能にも影響を与えますし
脳内の分泌物質の程度にも影響します、

神経伝達物質といいますが沢山種類があります。

取り巻く環境によりストレスに成るような事案があれば、脳神経の分泌物質も変化したりまたは、出過ぎたり、または、分泌量が少なくなってしまう場合もあります、


不眠や食欲が無いとか、不安や心配が継続してあるとかで、抑うつ状態が長期間に継続している場合などは、適切な相談者に相談を勧めます。

公的な相談機関を勧めます。

占いとか、宗教カルトなどは
または心理セミナーのような自己啓発系は
慎重な対処が必要です、から
いずれも、相談機関としては、私は、
勧めはしません。

僧侶や牧師、神父さんなどでも、対人支援の専門家では無いので、
個別の相談は、対人支援の専門家を選択するのが賢明です、

カウンセリングは
第一に傾聴と受容です、

指図や指示命令や善悪の価値判断して審判は一切しないのが大原則ですから


きちんと話しを全て誠実に受け止めてくれる方を選ぶ必要があります。


そして、死にたいという気持ちも
ちゃんとそのまんまを受け止めてもらえるそ相談支援者を選ぶ必要があります。


その為に、標準的な対応が出来るのは
専門家のいる公的な機関です、


通常の事務員の方は対応は困難ですから

きちんと調べて相談する方を選んでもらいたいです、

福祉事務所の職員も対人支援の専門家でない人は沢山採用されいますので、
注意が必要です。

これは、地方の行政機関の構造の問題でもあります。
日本国に於ける、何十年もの間にある厚生行政の課題でもあるのです。



人は一人一人、個別にユニークです。

世界にたった一人しかいないのです、
その人は、

ですから一人一人、無限に貴重で大事で大切な存在なんです。

故に互いに滋養的な世話を提供し合うのが
福祉のモットーで、社会福祉の大切大事な価値で、基盤の一つなのです。













先日は京都でのALSを抱え、全身の機能は眼筋の動きくらいしか自分の自由意志でしか動かせないという方が、死を求めるようになり、
インターネットを介して、死を自分に贈ってくれる人を探して、出会いがあり、医者ら二人が、人間の脳神経の中枢部に強力に働きかけて呼吸機能も抑制する薬、麻酔薬、これはもともと毒ガスからの開発研究により発見、発明された物で、軍事からの民間への転用物の一つです。抗精神病薬なども、同じ開発の過程からサイエンティストが生み出した物です。それを医科学に転用し、病気の治療に利用しているという話です。

結果的に、医者2人は、彼女を生かす支援には参加しないで、彼女の訴えを聞き入れ
生命を途絶してしまいました。


元都知事の石原さんなどは、医者は武士の切腹に立ち会う介錯人だと、彼らを弁護し擁護し、検察に対抗したいと、主張していました。

今回は、尊厳死でも、安楽死でもなく、
医者の殺人事件だとする意見もありましたし、
検察による起訴は殺人ですから、

これから裁判になり、審判され判決が出るでしょう、その時点で、殺人だと認定されたならばはじめて犯罪者となり、適切な処遇に付されます。

今はまだ2人の医師は殺人の容疑者です、





人間はいつどのような状態に成るかは誰も分かりません。ただし、ある程度の予測は出来ます。

寝たきりで24時間の介助、介護、看護、医療、生活の維持、身の回りの世話などを統括して社会福祉といいます。

一人では自立しては生きるのが、様々な支障がある人には、そこに、人としての基本的な必要性があります、それがニーズですから、
全くの寝たきりの人が一人暮らしをするのはわがままでは決してありません、生活する場所の選択をして、アパートなり、マンションを選択して、あらゆる社会資源を活用して、自分の人生をより善く成すのは、あらゆる人に共通するニーズですから、様々な支援のメニューを用意して、適切に実施して、全ての関係者や関係機関や諸制度など人も金も物事も情報も、マネージメントして、その個人の生活を快適に支える働きは必要ですし、実際に実践している人々、当事者もいます。


日本全国同じ内容のサービスを利用できるかと言えば残念ながら無理です、

地域地域により、有益な社会資源が個々人のニーズを充足するには不足しているからです。


ただし、現在は、瞬時に情報のやり取りがマルチに出来るような世界的なシステムが構築されていますから、いろんな対人支援に有効な有益な方法や技術や実践などを自分から自由にあまり支障なく収集できるようになりました。

昔は他国の文献資料などはほんの限られた専門家のもとにしか無かったからです、

様々な方法が世の中にはあり、アートとして、開発するのですから、世界の様々な体験をしている人々と交流し、情報を交換したり、互いに現状を伝えながら知りながら、
より善い仕組みやシステムや方法や技術開発や発明や実践などに取り込んでいけます。

今回は、彼女を取り囲む支援者の中に、彼女の支援により自分がひどく身体を苦しむから迷惑なんだとか、施設に行くならそこで殺されるぞと脅されたなどの支援者側の支援とは言え無い言動があったそうです。

ほぼ身体的には何も出来ない状態生きている人に対する、真心も、思いやる気持ちや、優しさを持っていないか、意図して彼女を侵害し排除しているかの悪を好む人が支援者の一人に居たようです。


非常に辛辣な事案で、これは人の尊厳を人を支援する人自ら破壊して侵害している現実があるという証明です。

人間対人間の支援ですから
道徳的倫理的には自分にかなり厳選に対処して一人一人の支援を実践する必然があります。

専門家の教育過程では、この点が厳密になんども将来の専門家の育成には個人の自己覚知と意識化の実践を徹底して厳しく指導します。

将来、自主自立し自律して対人支援が出来るように成る為です。

昨今の対人支援サービスの専門家の養成には
格差があり、養成機関の資質にかなり問題を抱えている教育機関や養成機関もあります。

まさに人間一人一人の生命と心身と財産資産の維持や保持に侵害するような対人支援サービスを実施ている人々もいます。


今は少子高齢化により、マンパワーの不足が久しく叫ばれていますが、改善はしていません、さらに、サーズ2の影響により、医療や福祉の現場は様々なダメージを受けています。

当然に、当事者である、身体や脳神経の機能に支障を抱えて苦しんでいる人々が一番先に脅威にさらされているのが今の現実であり現状です。

いかにして、より善くを具体的に実践し実現し善い実りあるものにするかは、
やはり、今、現場で活躍している一人一人とさらには本来ならば支援の実践者というのは前線ですから後方支援も何倍も必要なのです。


私は関係無い、俺は知らないとう話ではありませんで、

様々な事件がニーズ、新しい知らせとして情報としと、届きますが、

人間として当たり前な事柄について、よりよく思い巡らしてみると、自分自身に気が付きメリットもさらに得られるし、より善い人生を選択して歩めると自分は考えています。








ニーズとウォンツは違います。
一人一人のニーズとウォンツ。

ニーズは必要性で、ウォンツは欲求です。

その人にとりニーズは人としての必要性です。


その人個人の欲求とは違うものです。

衣食住はニーズですが、
大きな家が欲しいとか、ブランドの服が欲しいなどはウォンツです。


また、障害や病気やハンディや日常生活に支障を抱えていたり、社会生活に支障を抱えている場合には、特別な配慮が必要です。

社会福祉では当然の概念ですが、未だに日本の社会でも、その概念や価値は知られていません。


特別扱いはしないとか、特別待遇はしないなどといった、言動を見聞きしますが、
個別のニーズは様々ですから、特別な配慮はその人個人のニーズに応じて、一人の人として、日常生活や社会生活が支障無く送れるように適切な支援が必要になります。

全体主義や集団統制主義を優先的に価値として選ぶ地域社会や国家は、その地域に属する人々にルールや規則を強要したり強制するなどして、人権を公然と侵害し人心を傷つけてしまう場合もあります。

地域社会に個人個人が個別に存在し、生活を営んでいます。病気や身体の機能障害や脳神経の機能の障害など抱えて生活している人もいます。

その個人のニーズは様々であり個別化を実施して、一人一人のニーズを充足する為の個別の支援は必要です。

個人個人に特別な配慮をして、ニーズをよく把握し一人の人として日常生活や社会生活が支障無く営める為の支援は地域社会に暮らす人々や各種の関係機関やそこに属するスタッフや職員やあらゆる社会資源を活用し、様々な人々のチームワークの力を援用して、
個別の特別な支援を実施する事が求められます。

パーソナルサービスは、対人サービスとか、対人支援サービスといいますが、

そもそも個人のウォンツでは無くて、個人のニーズ、必要性を充分にアセスメンとして、個別、個別のその人のニーズに即した特別に配慮したサービスを提供するものです。

決して特別扱いという事柄ではありません、


グループワークやコミュニティワークは、
ソーシャル・グループワーク、ソーシャル・コミュニテイワークともいいますが、

一人一人のニーズをグループの力を活用して、充足していく活動です。

決して全体主義や集団活動や集団統制などという画一化均一化を目指す内容ではありません、

グループワークは、一人一人のニーズを個別化して充分に把握して、アセスメントして、グループ参加しているメンバーの一人一人にある才能や力やタラントを活用して、一人一人が才能などを提供して、協働して、一人一人のニーズを充足していく活動です。

ですから、柔軟性に富み臨機応変に対応し
集団力動にも変化があり、様々な交流が生まれ、互いに支援する関係が生まれます。

グループワーカーやコミュニテイワーカーなどの専門家は、個人個人の人心の状態を常に把握しながら集団の個人個人のニーズを適切に把握しかつメンバー間のトランザクション
を観察しながら、それぞれメンバーのニーズを、充足する為に適切な介入もします。

メンバー間の相互作用があり、また、互いのニーズを誠実に受け止めて尊重したり、さらには、互いのニーズを充足する為の支援を提供しあう関係性も育みながら、グループワークや、コミュニティワークを実践します。

主体は、個々のメンバーであり、自己覚知を促し、相互交流が生まれ、互いをよりよく知り、ニーズも互いに把握するように成り、
それぞれの主体性や自主性を尊重しながら
互いに思いやる支援を提供したりする自発的ないろいろな個別の活動も生まれます。

グループワークには開始と終結がありますから、その都度アセスメントしグループワークの評価を実施して、個別のニーズを再度評価し、個別支援の計画に反映しフィードバックします。

また、当人による自分のニーズの明確化やニーズの充足の程度などのアセスメントする支援も必要です、

グループワークに参加して変化した点や
新たなニーズの発見など、個別の状態の変化もあります。

個人とグループのそれぞれの適宜な評価を実施して、支援計画に反映します。

グループワークは個人の個別の支援の為にグループを媒体にして活用する支援の実践です。


ですから、集団教育とは方法論が違う物です。

グループワークは、あくまでも、個人の個別化を実施して個別のニーズを充足する為にグループを活用して支援していく一連のプロセスです。


ですから充分に人権に配慮した方法を運用しプログラムの内容も考える必要があります。

また、支援が必要な当事者が集まって活動する、セルフヘルプグループもあります。

日本語では、自助グループといいますが、
当事者グループですから、専門家、単に参与程度の関わりしかありません、
集まった当事者の一人一人が当然に主体ですから、互い自主性や、主体性を尊重し、
かつ、自分を傷つけないし、他者も傷つけない、互いに滋養的な世話を提供し、思い遣りと個人の尊重を実践しながら、グループの目的を、確認して、個別個別のニーズをそれぞれが自分のペースで充足していくグループです。

ですから、強制や、強要や、支配や、強要や教唆などは排除し、
通常、Iメッセージで発言します。

私は、何々だと思うとか、私は何々の事件があり傷ついたとか、悲しかったとか、嬉しかったとか、
発言の時には必ず、私はを、主語にして、
発言します、


あなたはこうなんだと、相手を断罪しない為でもあります。

私は、あなたのこれこれについつてこのように思うなど、わたしを主語にして発言する事が望ましいです。

物事や人物を自分の主観で断定したり、断罪しない為です。


互い尊重し協働しながら、かつ、互いの主体性や自主性を尊重する方法の一つです。

一人一人のウォンツとニーズも違うという話と、個別化を図り、個人のニーズの充足には、個人の主体性や自主性を限りなく尊重する行為が互いに大切だという話です。

地域社会の活性化とか地域福祉の充実のニーズは各地域に在ります。

一人一人の自己覚知も必要です、
更には、個別のニーズをよくアセスメントして、互いにより善い関係を求めて養い築く作業も必要で、単に規則や既存のルールや価値に集団で従うとか、前例踏襲の方法では実際に内在している地域社会の問題や課題には適切に対応出来ないと言えます。

故に自己覚知と、個別化は、必ず必要な作業です。

地域社会を維持運営するにしても、

個別個別のニーズをさらに充分にアセスメントしながら丁寧に対人支援を実践していく方が、より合理的で効果的で、価値があります。

地域資源や社会資源は、各地域により違いますから、それぞれの地域の特性があります、

小さなグループ活動が、その地域の対人支援サービスのメニューの一つに加われば、住んでいる当事者の一人一人の選択肢が増えるので、さらに地域資源や社会資源が増えて、個人個人の生活を今よりも豊にする機会が増える事にもなります。

実際には、ユルイ繋がりがあり、
個別、個別を充分に尊重する地域社会は生きやすい、社会で、
自殺率も低いというデータがあります。


秋田県は、自殺率はとても高いので、
様々な要因が考えられるのですが、

人々のユルイ繋がりを養い育み、また、個別化を充実し、個別のニーズに充分に即応したそれぞれに特別なメニューを組み、支援の実践が当事者と協働しチームワークの意識を持って活動するのが望ましいと思います。

自分は存在している事自体が喜びだという自己の存在が無限に貴重な存在なんだとする価値を養える環境を創造する事も大事な事だと思います。

何故ならば、一人一人は存在自体がユニークだから、それぞれ、世界にたった一人しか居ない無限に貴重な価値ある存在だからです。

















ソーシャルワークでは、環境というのは、自然環境だけではありません、人を取り巻く様々人、物、金、情報、社会制度やさまざなしくみなど、社会資源と言われるものも全て含みます。
一人一人を個別化した時に、その人個人を取り囲んでいるあらゆる人物事や資源など全てです。

個人とその人を取り囲んでいる他の人々も含む環境とその個人と環境の相互作用の三点に対してよりよく成るように様々なアプローチをする作業がソーシャルワークです。

より良い、より善くというのがモットーですから、急激な改変とか、過激な革命とかそのような方法論は採用しません、
むしろほんとに、小さな事柄を一つ一つ課題や問題を改良や改善していく手法ですので、
社会改良運動などとも違います。

実際、一人一人は唯一の無二の存在ですから、その存在が大変に貴重です、それは一人一人みなに共通する価値です、
人間は誰も不要な人はいませんし、どんな状態であっても存在としての無限の価値があるのです。だから、一人一人はお互いに大切で大事で貴重な存在なので、互いに真心を持って思いやり滋養的な世話を提供しあう関係を構築したり維持したり保持したりする事も大切です。

今は、新コロナウイルスで世界的に危機的な状態です、そのような時でも、一人一人を親身に成り大切に大事に極めて貴重な存在として価値ある存在として互いに思いやり、今よりもより善くを一緒に課題や問題を一つ一つ査定して、共有して、協働して達成や、解決を図っていきましょうというのがソーシャルワークの基本的なスタンスです。

出発点は、個人ですから、個人を個別化して、その人の自主性や、主体性を尊重しながら、互いに自己覚知を促しながら、問題や課題を共有して、一緒に取り組んでいき、いまよりより善く成るように協働作業する過程でもあります。

故に、社会制度などは人間が構築した物事ですから仕組みやシステムには沢山の欠陥や問題があります、うまく機能しない場合もありますし、誤って運用している場合もあります、いつもアセスメントをして改良や、改善の余地がある部分は、提言提案など一部は社会システムに介入したりして、社会制度をより善く成るように変化へのアプローチもソーシャルワーカーは実践として生業としてあります。

今回の感染症の予防や対策なども、また、公衆衛生などについても、全ては一人一人の生活に直接関係し影響を与える物事ですから、
ミクロからマクロの観点とマルチな視点を持ち、かつ、様々な適宜のアプローチを選択的に採用してソーシャルワークを実践するものです。

ソーシャルワークは、個人個人の生活を支援する仕事ですから、パーソナルサービスの典型です、さまざな支障がありますし、変えられない物事もありますし、変えられる物事もあります、またその変えられるか変えられないかをよく見定める知恵や知識も必要に成ります。

個人と、個人を取り囲んでいる全体と、そのやり取りをいろいろ査定しながら個人の生活を支援する内容ですから、グループワークやコミュニティワークなど、また、アドミニストレーションやマネージメント、アドボケイトやソーシャルアクションなど、他にも様々な方法やアプローチがあります、また、いろいろな分野でソーシャルワーカーは世界中で活躍しています。

医療や保健や介護や保育や労働や司法なども全て一人一人の生活に密接に関係していますから、ソーシャルワークの対象になり、全ての分野を対象にして、かつ、人をヘルプする仕事です。

ですから、人の奴隷では無いし、一方的な世話の提供でもなく、どのような人とも対等な関係であり、クライアントの抱えている生活上の支障をよくアセスメントしながら、ニーズを特定して、様々な問題や、課題やをクライアントと、一緒に解決対応していく仕事です。

ニーズとウォンツは違います、

その人の願望や欲望とその人の必要性は明確に区分けして検討しますから、
価値の問題や、倫理の問題や、道徳の問題は決して避けて通れない、専門職では要になる分野です。

この、価値や、倫理や道徳を排除して、単に機能だけになると、必ず、倫理的な問題や道徳的な問題などか発生します。


今も、新コロナの問題は、根底には価値の、問題があります。

何を最優先するか、何を一番大切にするのか、何を最善として価値付けるかという価値と、価値選択の問題がゴロゴロ転がっています、

人命にダイレクトに関わる事態ですが、
それぞれ個人の価値、家族など小さなグループの価値、地域社会の価値、企業や組織の価値、各地の自治体の価値、国の価値、世界の価値など、様々な価値があります。

それを問題や課題に対処するとき、何を最善として最優先にして価値を選択し対応するかです。

国や自治体の最優先価値が必ずしも、人命最優先では無い場合もあるのです、経済優先の場合もありますし、それそれの立場の利益を最優先する場合もあります。

社会は様々人々より成り立っていますが、
様々な価値のコンフクリクトがありますので、それをよく観察してアセスメントして、最善の対処も必要に成ります。

自分の身は自分で守るという価値も当然あります。

しかし個人では限界もありますから、今は、出来るだけ三密をという公衆衛生の手法に則り対策をしているところだといえます。

いろんな経験から公共の福祉の向上に役に立つアイデアなども生まれて来ます、
それは、個人個人の生活体験であり、個人個人が違います、

そのような小さなアイデアや意見などを公に表明して、具体的に活動して、実践して、
時には協働したりしながら、ゆるい関係を維持して、つまり支配や操作や強要などでは無く、それぞれの主体性や自主性を個別に尊重しながら、コラボレイトしながら、私達の共通の課題や、問題に対処し善処していく事もできます。














新コロナ流行で家庭に長期に親子が居ないとならない為に親子間のトラブルや家族内のトラブルも増加しているそうです。ストレス管理も大切な作業だと言えますが、子供と親との諍いなどで親からの暴力行為なども加増しているそうです、悩みや困難さがある時は、一人で抱え込まないで、適切な相談機関に相談をしてみるのが賢明です。適切な相談員であれば、話を傾聴し受容してもらえます。十分に話を傾聴し受容してもらえるという体験は非常に重要です。受容とは、肯定や否定や審判はしないで、そのまんまを受け止めるという意味です。アクセプタンスといいます。

例えば、親が我が子の言動に支配されていてイライラしている時に、そのイライラをそのまま、今、自分は怒っているんだなとか、あー今はイライラしている自分がいるんだなあと自分で自分を冷静に受け止める作業です。

いろんなバリエーションはありますが、自己覚知という作業です。

この相談者であるクライアントの自己覚知の作業を相談員は支援します。

それから自分の抱える諸問題などを整理していきます。それらの作業を一緒に実践していくのが相談支援援助です。

それ故に、何かをしてもらうという内容ではありません、緊急時の危機介入のアプローチはありますが、通常は自分の内面を打ち明けいく作業を繰り返しながら自己覚知の作業を支援します。主体は相談者、クライアントですから、自分の思いや限界や現状の苦しみや困難さなどを話して行きながら、話を聴く人は、相談者の抱えているさまざな問題や課題を整理するのを支援しながら相談者の方と一緒に考えます。もしも日常上生活で困難さや限界などあるならば、適切な相談機関を利用してみると自分と自分を取り巻く環境について、客観的に観る事もできます。そうすると、自分で自分の事柄について良く知れますからあまり無理しなくてもよりよく生きられるように変化していく事もできます。
精神科医療はあまり馴染みが無いとい方も多いと思いますが、医療サービスの一つですから一般的な知識として学んでおく事は、けっしてデメリットではありません、むしろ非常にメリットがあります、
日常生活では直接関係無いかもしれませんが、しかし、例えば、認知症の方で、夜間せん妄などの精神症状が出現した場合には、一般科では適切な対応が出来ないので、精神科救急を活用するケースが多いです、
また、アルコールや薬物など物質使用による障害により精神症状が出現したりします、中には自傷他害の状態になり自己コントロールが出来ないで、全身を自分で刃物などを持って切り刻み激しく自傷行為を働いたり、または、他人に暴言や暴力行為が支離滅裂に出現したりする場合もあります、そのような時は、警察を要請して、緊急に保護を依頼する必要もあります。
警察の仕事は悪い人、犯罪者を捕まえるだけではありません、市民の生活の安全安心を確保し守る為にありますから、自傷行為や酩酊状態などにある生命に危険のある状態の人を保護する職務と義務があります。だいたい精神科救急の対象になる方は、警察の支援と保護を受けて、精神科救急医療サービスを利用する事例が多いです、もちろん、警察以外の支援もありますが。
精神科は精神保健福祉法という法律で全て決めらてあります、それは人権擁護と人権侵害の予防の為です、中には措置入院や医療保護入院など、いわゆる強制入院の制度もあります。本人の意志に反して入院措置を取るために、正に人権擁護と人権侵害の予防は必要ですから、精神科医療サービスは法律で細かく決められています。

自分や他者や家族がけっして精神科医療に関わらないとは言えません、精神病に罹患するまたは発症するリスクは誰にでもありますので、一般的な知識として学ぶ事は、さらに自分や、他者や社会のしくみをよりよく理解する事につながります、

人間と人間を取り囲む環境と人間と環境の相互作用に興味や関心を持って、今よりもより善くを一人一人が目指すと、さらに善い社会の形成が出来ると思います。




巷では新コロナウイルスにより不自由さが顕著になっていますが、これは公衆衛生の問題です、至極一人一人に身近な問題で、生死に関わる話です。

また、これらの公共(オオヤケ)の問題は、病気や事故などで身寄りを無くした方やまたは親を亡くした子供や、または、親がいても親の機能不全や精神疾患や精神障害や身体障害を抱えたりしていてその子供に必要充分な養育を提供できない方もいます、また、親の暴力などの虐待や不適切な養育、親がマルトリートメントをしてしまう為に一緒に親とは暮らせない子供もいます。さらには、学校でのいじめや他の大人達からの無理解さなどによる子供の人権を侵害されている子供もいます。

今回のウイルスの流行により、家庭や、家族の機能が非常に脆弱で機能不全であると明らかになった事例は沢山あります。

子供の社会的養護という考えは以前からありましたが、今回の疫病流行をきっかけにして、もっと一人一人は子供の社会的養護にちいても認識を深める必要があります、

人や社会をより善くするのは個々人の問題意識からですから、現状に甘んじるのでは無くて、少しでも人や社会に関する物事に対して改善を目指した具体的な取り組みが必要です、

それぞれ個別の事象はあり、一人一人は全く違う存在です、

今は世界的な疫病の流行ですが、
しかし、人の生活や営みは今それぞれ実践しています、

一人一人を大切に大事に貴重な存在として滋養的に世話を提供するにはどうしたらよりよいかを思索して、善いアイデアを出して、具体的に実行して、それぞれの才能や、タラントに応じて実践してみるのが賢明だと自分は思っています。


社会福祉というのは、一人一人に直接、間接に関係している事柄です、人間が生活していく上で大切な物事です、今回のウイルスの流行などを機会に、皆様に、家族の機能とか家庭の機能についても再考していただけたら幸いです。

ソーシャルワーカーズ代表ソーシャルワーカーの奥田力
社会福祉士、精神保健福祉士


この自分のライフヒストリーを適切な支援者と振り返り一つ一つ自分に内在する思いを確かめて、自分で自分のいろいろな事柄を受け止める、誠実にそのまんまありのまま受け止めるという作業は非常に大切でメリットがその人自身にあります。より善く自分を養い育む事が出来るからです。
通常、ソーシャルワーカーは、社会福祉士や精神保健福祉士などの福祉の専門課程を経た人は、自分自身の特性や傾向を把握する為に、つまり自己覚知を促進しいつでもどんな時にも柔軟に臨機応変により善いを目指して応対し対処出来るように、レッスンとトレーニングを繰り返し継続します、自己分析も含めたかなり根気と忍耐と寛容さと寛大を持ってコツコツと実践していく作業です、通常、対人サービスの専門家は、スーパーバイズが必要ですから、スーパーバイザーに依頼して、自己覚知の作業を繰り返します、
自分から主体的にするものですから、適切なスーパーバイザーを探す事からはじめます。

内容は、このライフヒストリーの作成をドリルします。自分の生育歴や生い立ちについて、家族歴やファミリーツリーも作成したりして、自分のあらゆる人生を振り返る作業と確かめる作業を丁寧に実践します、
一つ一つの事柄について、冷静に受け止める訓練をします。
それには、非審判的態度や意図的な感情表出も大切な事項です。

自分の内にある事柄も、よく整理して人生の棚卸しを行い、客観化します、

自己憐憫を排除するためでもあります、

自分だけは恵まれていない可哀想な自分がいるんだとか、自分だけは頑張っているのに不幸なんだとか、悲しくつらいのはみんな誰かの勢なんだとか、
断定し断罪して、白黒思考、0か100とか、敵か味方かなど極端な偏った思考パターンや認知様式を選択しないようにする為でもあります。

そのような偏りの強い激しい思考パターンは、今よりもより善くを排除してしまうからです、自己から湧く思い込みや思考が一番で、理念的で観念的な理想で、自分も他人もジャッジメントして裁き切ってしまうからです、それは、人にとってメリットを損なう行為であるからです。

自分の人生を振り返りそれを一つ一つ感情や記憶や思いや事実や事柄をセレニティでシラフで受け止める作業は非常に価値があります、そうする事で、他者の事柄も誠実にありのままに受け止めて認知できるようになるからです、つまり、一方的な審判的な態度で断罪したりしないで、認知を変えた見方で他者も見れたり、受け止めたり出来るように成るからです、また、自己憐憫しないで、自分のありのままをそのまんま受け止め、自分自身をゆるし自分の今の存在を誠実に有難いなあと喜ぶ事が出来るようにもなるからです。
自分にある存在する価値そのものを非常に貴重で大切て大事な唯一無二な存在なんだて自己認識が深まり、さらに、同時に、自分以外のあらゆる人々、一人一人も唯一無二で、非非常に貴重で大切な大事な存在なんだと、
真に他者も自分もそのまんまの存在で尊重できるように成るからです。または、それを目指してコツコツと継続して実は死ぬ時まで継続する作業の一つでもありこれで完全というのではありません、人としての完全さ、極みを少しずつ少しずつコツコツと目指すというのがこのような作業の特徴です。


社会福祉の考えでは、個人個人の自主性や主体性を限りなく尊重するのを大切に大事にします。
それは、一人一人が唯一無二の貴重な存在だからです、互いに尊重し合う事が価値としてあります。
赤ちゃん、子供、大人、高齢者、障害を抱えてる人、病気を抱えている人、性別も、国籍も人種も、パーソナリティも、

みな一人一人はユニークですから、
一人一人を極めて尊重する事を大切に大事にしようと社会福祉の学問としても言われている世界共通の価値です。

これは集団で操作するとか、大衆で操作するとか多人数を一度に変化をもたらす対応とは違う方法論です。

今、これからは、ますます、パーソナライズする仕組みが増築されて来ますが、

個人をきちんと個別化して、丁寧に滋養的な対応をする、個別のニーズを明確にして、その人自身が自分を知った上でいろんな社会的サービスを利用していく方法が整備されてきています。

これは、個人の主体性や自主性を限りなく尊重するというヒューマンサービスの基本原則で、かつ、この価値を土台にして、いろんな仕組みが今世界的にも組み立てられていっています。

人の世界では、完璧とか完全なんてありませんから、理想はあるにしても、直ぐには叶えられません、地道にコツコツと自分自身を鍛錬する必要もあります、

これは空手の精神と同一です。

何事も一日では成せないですから、

希望を持って、より善くを目指して、
少しでも善いを評価して、喜んで、一歩一歩地道に狭い道を歩み行くのが賢明だと自分は思っています。

これはアルコール依存や薬物依存症などアディクションの問題を抱えて依存症からの回復の方法とそのプロセスとも同じで、自分は依存症から回復したいという明確な望みがあり、かつ、依存症は自分だけの力では回復できないから、適切な他者の支援を活用しながら、今日一日、しらふで生きる、そのしらふて生きる喜びを思い、支援者のおかげで、今日一日しらふで生きる事が出来たとありがたいなと感謝して生きるプロセスと同じです。

依存症は脳の機能障害ですから、自分の意志で自分を適切にコントロール出来ない状態になっていて、完治はありません、
しかし、依存症からの回復は小さな回復のステップを踏みながら自分にある傲慢さを陶冶して、ありのままの自分自身を受け止めて、シンプルに生きる事を実践していく生き方そのものです。

依存症からの回復に取り組んでいる方々は、みな一人一人事情は違いますが、自分にある問題や課題をよく見つめて、他の当事者の方々の適切な支援を活用して、自分自身の課題や問題を整理し、人生の棚卸しをしながら、一つ一つ、対応し解決したり課題を達成したりして、日々地道に回復のプロセスをステップを踏みながら行こうとして実際に謙遜に成るように心がけて生きる事を実践しています。

故に非常に素晴らしい人々が多くいます、
AAのミーティングなど、何年も飲酒をやめ続けていられて、今を喜んで生きる事を享受しているのです、依存症からの回復は目標ですから、そのプロセスをリカバリーといいます。

自分を真に大切に大事に貴重な存在として受け止め滋養的な世話を今日一日実践しながら歩む道行です、

このプロセスは空手の修練と同じです。


自分だけの力で能力で空手の力は身に付きませんから、自分を取り巻くいろいろな周囲の方々の支援があってこそ自分の身に成る物です。だからとても貴重なものだと言えると自分は思います。

今日もよい一日を!




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20200218 虐待サバイバー について、当事者のグループが札幌にあって活動しています。幼少期のマルトリートメントにより大人になっても複雑性PTSDを抱えている方は、その状態や苦しみを他者からはなかなか誠実に受け止めてもらうのに支障を抱えています。当事者の方々自己組織化して、セルフヘルプや自助グループをつくって活動するのは非常意義があります、興味や関心を持ってもらえたらありがたいです、虐待やマルトリートメントって言うのがどんな意味で、どんかメカニズムで、どうして起きてしまうか、また、子供を傷つけたりする親も幼少期に傷つけられていて、そのトラウマを抱えながら子育てを一生懸命やっている人もいるし、傷ついている親と傷ついている子供の両方に適切なケア、トリートメントが必要だし、また、当事者の自己覚知も必要だという話です、傷ついている人自らが発信して必要な支援を求める事は人としては当たり前の行為です、しかし、なかなか当事者は自分自身の傷や弱さや苦難など辛かった事を否認してしまう傾向もあるし、周囲の人々は目を背けたり、やはり拒否したり否認してしまう傾向がつくなります。ですが、虐待やマルトリートメントによるトラウマとそれからの回復や適切な支援などはみんな一人一人に共通する課題や問題でもあります。一人でも関心興味を持って、いったい虐待とかマルトリートメントてどんな事なのかなど考えもらえたらありがたいなと自分は思います。 人や社会を少しでもよりよく成るようなコツコツ歩む地道な活動は継続していきたいとなと自分は思っています。

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自分はソーシャルワーカーとして長年、様々なフィールドで、現場で、社会福祉の実践をしてきています。
都内の精神科病院では、精神科デイケアで
精神科医療サービスのスタッフとしても施設の経営運営維持にも関与していましたが、さまざなプログラムを開発提供したり、デイケアの利用者の方ともいろんな話し合いをしながら、医療スタッフや患者利用者という立場を超えて、みな対等にいろんな問題や課題を整理して、互いに協力し、個人個人のニーズを出来るだけ充足できる施設になれるように施設運営を心がけていました。
利用者さんの事は、デイケアのメンバーといいますが、複数のプログラムは全部自分で選択して利用出来ます。
その方の状態や意向により随時変更も可能で、かなりメンバーさんの自主性や主体性を尊重した施設運営を他分野の専門スタッフとチームワークで実践実施していました。

基本はメンバーさんはお客様、クライアントですから、一人一人のニーズアセスメントは随時怠る事なくみなと共有しながら毎日ミーティングして運営に参加していました。

自分は、人間が病気や怪我や脳のダメージを抱えていて、心のトラウマを抱え苦しんでいる方々にも沢山出会い、治療的な関わりを、もちながら、個人個人が自己回復できる支援に携わってきました。

クライアントの方のセルフケアとか、セルフトリートメントの支援です、
病気やトラウマからの回復を
リカバリーといいます、リカバリーは自己回復の全ての作業やプロセスの事柄です。

自分は傷ついているんだとか、自分は病気なんだとか自分には障害があるんだとか、自己覚知して、自分を誠実に受け止めてる方は、適応なセルフケアやセルフトリートメントを選択できます。

しかし、そうでなく、自己否認している方は、自分の抱える辛さや苦痛を回避したり安楽にするために、または緩和するために、
飲酒や薬物や性的行為やスポーツや仕事や趣味や飲食や買い物やゲームや宗教やギャンブルやあらゆる物事にアディクトして、つまりのめり込み自分自身をさらに傷つけ侵害し、最後は身体を悪くしたりして死んでしまう方もいます。

故に、その人、一人一人にあった適切なトリートメントが必要になります。

一番困難な病がアルコール依存症と薬物依存症です、最近はギャンブル依存も話題ではありますが、

いろんな依存症やアディクションは根本は同じです、辛さや、寂しさを抱えているからです、その苦悩を柔らげる為に何らの事物や人物にアディクトしてしまいます。

例えば、脳内の変化は、アルコールならば、飲酒した時にはじめにドーパミンが脳内で分泌されてしまいます、それは麻薬快楽物質ですから、次に気持ちよさを感じ、それからアルコールの成分により今度は脳の中枢機能が低下して、抑制が無くなり、さらには、身体や内臓などにもダメージを与えます、だから慢性的に飲酒しアディクトしている方は、その方のアルコール解毒の体質にもよりますが、大量飲酒や、連続飲酒や仕事中も飲酒しないと仕事が出来ないなどあったり、飲酒しないと手の震えがあるなど離脱症状や中には認知症が若いうちから現れてしまう方もいます。



アディクション問題に共通しているのは支配し操作したり支配されたり操作する関係で、互いに大切大事にしない、ただ利用しあう関係です、これは自分自身や、他者との関係で、です。

これでは互いに破綻してしまいますし、自滅してしまいます。

最後には暴言や暴力で人を自分の思い通りに支配操作しようとしたりする人もいます。

また、自殺企図を繰り返す人は、支配操作出来るのは自分以外にいないからという説もあります、悲惨な状態を見せて他者の気持ちを動揺させてコントロールし操作支配するという動機です。
また、摂食障害は、唯一支配操作できるのが自分しかいないので、自分の体重をどこまでもコントロールしようとして脅迫的な操作や支配で自分のイメージ通りにしようと過剰な侵害を自分に向けて最後はやはり餓死のような状態になり死亡してしまいます。重度の方は一切食事を自分の意思で取らなくなるのです、ガリガリに痩せても、まだ痩せないとといいつづける人もいます、最後栄養失調なり身体を維持できなくなってしまいます。

アディククションは、脳の機能不全の要因もかなりありますから、いかに自己を真に大切に大事に滋養的な世話を自分にするかという話でもあるのです。

これは耽美的な自己愛などとは全く違う事柄で、好き嫌いとかそんな話ではないのです、

傷ついている自分を大事に大切にいたわり、より適切なケアやトリートメントをして、酷くならないように維持し、今よりもよりよくしていく為の適切な作業で、これをリカバリーといいます。

トラウマを抱えている方はアディククション問題を抱え易く、中には、過去の不全感を解消する為に、他者を乱用してしまい傷つけ侵害してしまうというパターンもあります。

脳の機能不完や脳の病気や心の問題、認知の機能障害を抱えて、トラウマがある場合には、適切なトリートメントが必要です、
また、そこからの回復、つまり、リカバリーするための適切な方法があります。

その一つに空手も当然に含まれます。

言うなれば、なんらかのトラウマを、抱える人のリカバリーの手段や道具、媒体としての空手でもあるので、

社会福祉の専門家としたら、さまざな自己回復の為のプログラムの一つとして空手と考えてもいます。

世の中には、さまざなな自己回復の為の道具や、媒体が沢山山程あります、

絵画や音楽などもアートセラピーの中にありますし、スポーツを道具にしたセラピーもあります、

医学の治療は医師の分野ですが、
他にも治療的な物事は沢山あります、

依存症などは、医師に治療はほぼ不可能で、自己回復のためにセルフヘルプグループがあり、主にミーティングを開催して、その時に、自分の思いをいいぱなし、他者の思いを聞きぱなしという作業を今日一日の精神で参加しコツコツと地道に自分自身と向き合って、自分の中の課題や問題を発見し、一つ一つ改善する為の作業を積み重ねていきます。

心身の傷やトラウマからの回復にはいろんな手法があります、激しい症状やダウンし全く元気がなく感情や気分が塞ぐのが長期で日常生活にも、支障があるならば、専門の医師の診察や治療や服薬も必要になります、
だんだんと回復してきたら、精神科ではデイケアとかナイトケアなどに参加利用したりし、社会生活も維持できるような方法を選択したりもします。

基本は、焦らないし、挫けないで、自分自身を真に大切に大事に滋養的な世話をする事ですから、自分に合った適切な回復方法を選択するのが賢明です。

地方は、セルフケアやセルフトリートメントの観点からすると、メニューやプログラムが少ないし、選択肢も少なくし、社会資源も限られているし、トラウマとか自己回復とかセルフトリートメントとかセルフヘルプなどという概念や考えについても、あまり関心が少ないので、

何か人間の病気や怪我とか、またはいじめや虐待などによる心身へのダメージについてや、どんな苦痛があるか、また、トラウマからの回復にはどんな方法があるかなどについても、一人一人が関心や興味を持って研究してみるのも面白いと思います。

今は明らかに個別化の時代ですから、パーソナルサービス社会といいます。

ニーズは一人一人全く違いますから、
個人個人のニーズを本人と一緒に詳しくアセスメントとして、直近の課題や、問題を整理して、一緒に一つ一つ、本人の自覚を促しながらサポーティブに、かつ主体性を尊重して、自主自律的に自分の課題や問題に取り組んでいけるような支援が必要です。


これは医療や福祉だけでなく、教育や労働や、会社や企業など経済分野でも同じです、

主体性の尊重と個別化はますます重要にな課題になってきています、

大衆操作、集団操作的な方法論よりも、いまは正にパーソナルサービスに世界的な価値がシフトしています。

政治的には国と国のパワーゲームの真っ最中ですが、一方では、個別化がメインストリームになっています。

これは利己的個人主義とは全く違います、
自分も、他人も、真に大切に大事に滋養的な世話を互いに提供しあうという良質な環境を創造し構築し維持運営していきましょうという、一人一人の善意ある自主的な主体的な市民活動の形態です。