20191224 よいクリスマスを!

View this post on Instagram

20191224 Joyeux noel クリスマスイブですね、今年は雪がありません、確か1979年にも道路が乾いていて、雪が全く無いクリスマスで正月に少し降って少し畑なんかに積もっていた記憶がありますね、この時くらいから、だんだんに冬らしくなくなってきたなあという思いがありました。48豪雪というのがありましたが、二階まで雪が積もり、父が雪の階段をつくってくれて一階の玄関から出入りしていた記憶があります、自分は丁度、横手の駅前の平鹿病院という大きな病院に保育園で右目をヘアピンで射られてしまい、水晶体は破裂して摘出手術したり、今度は斜視になったりして、また手術を5回繰り返したりして、一度は麻酔がききすぎで、なかなか目覚めないで、一度死んだようでした、奇跡的に蘇生したらしいです、半年入院していましたが、クリスマスもたしか小児病棟のクリスマス会に招かれて参加したのですが、ケーキを食べていたら、急に寂しくなってきて、シクシク泣いて、涙がとまらなくなって、自分の気持ちを察してくれた優しい看護婦さんが部屋にもどうか、寂しくなっちゃったね〜と受け止めてくれて、個室に戻った記憶があります。手術を何度もする必要があったし、家は父は除雪の仕事だし、妹が生まれたばかりで母は育児と理容店の仕事が忙しくなかなか病院には来れなかったし、祖母が付き添いでしたが、大雪で来れなかったので、一人で急に寂しさがこみ上げてきたのだろうと思います、他の子供達は、喘息とか、子供特有の病気で入院していて、同じユニットだったから、友達もできていたけれども、多分、自分はひとりぼっちなんだと楽しいクリスマスパーティーなのにとなんか言葉に出せない気持ちが涙に変わってしまったんだと思いました、看護婦さんや病院のソーシャルワーカーが気にかけてくれていたのは自分もよく理解していたから、招待してもらいありがたいなあって思いがありましたね、世話してくれた看護婦さんが腎臓を悪くして同じ階の別の病室に入院することになって、たしか、その看護婦さんに、ねぇどうして看護婦さんが入院したのって質問したら、看護婦さんも病気になるんだよ、いつも健康でもないんだ、元気そうな看護婦さんやお医者さんも病気にもなるし、病気になったら治療しないとね、回復するためにね、と優しく教えてくれたした、そして、ジューサーでミカンジュースをこさえてくれて、自分に飲みなさいといって、しぼりたてのミカンジュースをご馳走してくれました。自分はお医者さんや看護婦さんは病気しないと思い込んでいたから、この5才の経験は全く目から鱗でした。医療者でも病気するし、そうか人間だものねとそう思いました。小児病棟に入院していた、仲良しの同い年の子が、春を迎えずにもう会えなくなってしまい、喪失感を抱いて、人の儚さをなんだか受け入れがたいなという想いを保ちながら、翌年の五月の連休明けから保育園には再開しました。 一冬の物語ですが、一年一年と積み重なっていきますが、この年の出来事は忘れられない話で、大切にしています。自分は片目の怪我があり不自由さを身体的には得ましたが、しかし、物事の捉え方はかなり自由さを得ることができて、一人一人は、大切で大事な貴重な存在なんだなあと幼少期に実地で学んできました。人生はいろんな出来事がありますが、どれも貴重な体験で滋養があります。 みなさんよいクリスマスを!

A post shared by R&T©️ (@yuzawakyokushin) on

これは「私」のサイトです。(国際空手道連盟極真会館 秋田県本部安斎派 阿崎道場の旧サイトです。公式サイトは記事にリンク先を掲載しております。そちらから公式ホームページをご覧下さい。)

これは「私」のサイトです。(国際空手道連盟極真会館 秋田県本部安斎派 阿崎道場の旧サイトです。公式サイトは記事にリンク先を掲載しております。そちらから公式ホームページをご覧下さい。)

ソーシャルワーカーズの 代表のソーシャルワーカーの奥田力の個人サイトです。 長男が熊岡先生の極真空手の道場に通い始めたのが2010年9月からです。自分も一緒に付き添い、阿崎先生の勧めもあり、自分も健康コースに入門して、2019年8月に審査を受けて10級に昇級できました。自分は2003年頃から全身痛があり、線維筋痛症と確定診断されて、痛みやハンディを抱えながらも、今日一日を喜び生活しています。