20191010 稽古 十文字

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20191010 稽古 十文字 湯沢は、食品館というスーパーはなくなり、手芸屋さんや靴屋さんも年内に閉店し、だんだんと、商店街も寂しくなる一方ですが、第二回地域共生社会推進全国サミットというのを10.11日と開催されています。湯沢は地域には、都会から帰って来た若者などが新しく店舗を開いたりしている人もいます。秋田の県南部は穀倉地帯ですが、佐竹さんが現在の茨城常陸から1602年に徳川将軍様から言われて転封になり仙北、秋田に来てから、武士の人々や農民の人々などが新田開発したり、さらなる産業を興したり鉱山開発したり資力を得る為の開拓をして行きました。それまでは、仙北屋形といわれた小野寺の殿様が横手を中心に横手盆地の中心から南部を兄弟などと連携して支配していましたが、山形の最上氏などとも争いがあったり、堺を争い、一時、増田や湯沢など、仙北南部は最上氏の支配に置かれた事もありました、各地域では、戦さが絶えなく、沢山の武士が戦死しています。結局、稲庭城から覇権を広げてきて横手に本城を構えた小野寺氏は、関ヶ原に参戦出来なく徳川方に付かずに、自分の領土を拡大するに専念したことから、家康から、改易されて、今の津和野に処預かりになり、平鹿と雄勝は、仙北地方は転封された佐竹氏の所領になったのでした。増田や六郷や稲川などでは、佐竹氏の支配に抵抗した一揆が起きたりして、佐竹氏は、統制する為に、湯沢に佐竹南家、角館には佐竹北家、六郷には、佐竹義宣の父である鬼の義重を配置し、横手には、一番初めに伊達政宗の叔父の(仙台国分氏)伊達盛重、伊達宣宗、(福島、須賀川出身、佐竹義宣の側室は岩瀬御台で須賀川の人です。)須田盛秀、佐竹家一門の戸村氏がそれぞれ城代になり支配しました。院内には銀山があり、山田の松岡鉱山があるなどして、沢山の人が集まり、久保田より栄えていて、雄物川を活用した物資の交易も盛んになり、西馬内など各地の雄物川の支流域に川港が出来て、大阪や京都からの最先端の文化が入り、横手盆地南部の文化の形成に大きな影響を与えました。秋田には、関西や北陸方面など他の諸国からも沢山人々が移転して来て、事業を起こしたり、商売をしたり、様々な産業に関わり、秋田という麗しい土地に根差して、ご先祖さんらはそれぞれに活躍してきました。人々の交流交易は活発な方が、様々にメリットを生み出します。これからの時代は、もっともっと個別化されて行きます。新しい価値もどんどん生み出されていき、また、古くても確かに善い物は継続されて行きます。自分を活かすチャンスはいつも有ります、俯瞰的鳥瞰的視点や虫的視点、地図や海図的視点など、マルチアングルで、自分や周囲を眺め、自分にある善いという青雲の志を胸に秘めて特に子供達には、自分に与えられた能力を存分に活用して、互い尊重し敬愛しながらより善い物事をクリエートして行って欲しいと思います。その為に日本の武道である極真空手は、素晴らしい道具や媒体にもなり得ます、特に門下の方々は、自分にある才能や能力を極真空手を通してより自分自身を磨き上げてより価値ある存在に成るよう育み養い、ふるさとあきたをよりよく創り上げて行って欲しいと思います。ここの自然環境を大切に保守しながら、穏やかな気候の恩恵の中で、世界のいろんな人々と対等に渡り合え、互いに誠実にやり取り出来て、逞しく勇ましく生きて行って欲しいと思います。その為に、日本の武道は、非常に助力になると思います。押忍!

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これは「私」のサイトです。(国際空手道連盟極真会館 秋田県本部安斎派 阿崎道場の旧サイトです。公式サイトは記事にリンク先を掲載しております。そちらから公式ホームページをご覧下さい。)

ソーシャルワーカーズの 代表のソーシャルワーカーの奥田力の個人サイトです。 長男が熊岡先生の極真空手の道場に通い始めたのが2010年9月からです。自分も一緒に付き添い、阿崎先生の勧めもあり、自分も健康コースに入門して、2019年8月に審査を受けて10級に昇級できました。自分は2003年頃から全身痛があり、線維筋痛症と確定診断されて、痛みやハンディを抱えながらも、今日一日を喜び生活しています。