2019年10月25日 東北の灘

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20191025 湯沢は東北の灘 湯沢は東北の灘と言われています。昔は、もっと沢山の酒蔵があったそうです。それは、院内銀山や山田の松岡鉱山など湯沢雄勝にある鉱山の開発の為に、上方から、つまり関西方面から沢山の人々がやって来て、それぞれに働き生業を持ち産業を興して生きて来たからです。院内銀山は世界的に有名な銀山です。1606年に石田方の大谷形部の家臣の村山宗兵衛(越前)などいわゆる関ヶ原の戦後の浪人らが、出羽仙北に下り、雄勝の山あいで砂金取りをしていて、今の光る山を見つけたそうです。 銀山には、京都や大坂から沢山の人々が来ては華やぎ、また、備前など宇喜多家などの家臣らが佐竹氏が抱えてあげて、鉱山関連の仕事などに従事した人々も沢山いたそうです、また、キリスト教への迫害もあり、関西方面などまた東国などのキリシタンも鉱山に入り信仰を守りながら仕事にも従事していたそうです。山奉行の梅津政景などの高名な佐竹氏のキリシタン家臣も沢山いて、中には徳川幕府の厳命で処刑され殉教している有能な家臣も幾人もいます。佐竹氏は、今の北茨城出身で、徳川幕府から出羽に左遷を突如命じられて、常陸に寄らずに、出羽仙北に来訪します、初めては寒いし雪降るしなんも無い出羽仙北なんかと、しょげていた佐竹の殿様ですが、今の三関の峠の辺りに来た時に、見える豊かな景色を観て、非常に喜び、御機嫌になったという事で御機嫌坂と名がついた、昔昔の羽州街道にその坂は今でもあり、近くには八幡神社があります。 美酒爛漫は、有名ですが、ここは界隈の酒蔵が集まって出来た会社です、直ぐ近くには両関さんがありますが、元々は加賀の国の出身だそうです。秋田はポルトガルやイタリア、スペインなどの宣教師さんも良く来訪していたし、関西方面などからの様々な人々も寄り集まって出来た地域で、文化も、産業も、上方の文化が目立ちます。 佐竹の殿様はかなり寛容で寛大で教養もあった方で、さまざまな有能な人を採用して、秋田の発展に寄与した有能で心優しい殿様でした。 湯沢には、院内銀山や各地の鉱山開発の為に各地から集まった人々の街でもあります。なかなか面白い人々のコラボがありまして、興味や関心はつきません。 空手は、 今度の日曜日には山形で、試合がありますが、山形と秋田は元々、出羽の国で同じ行政区でしたから、皆さん、切磋琢磨して、優秀の美を飾って来て欲しいと思います。押忍!

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これは「私」のサイトです。(国際空手道連盟極真会館 秋田県本部安斎派 阿崎道場の旧サイトです。公式サイトは記事にリンク先を掲載しております。そちらから公式ホームページをご覧下さい。)

ソーシャルワーカーズの 代表のソーシャルワーカーの奥田力の個人サイトです。 長男が熊岡先生の極真空手の道場に通い始めたのが2010年9月からです。自分も一緒に付き添い、阿崎先生の勧めもあり、自分も健康コースに入門して、2019年8月に審査を受けて10級に昇級できました。自分は2003年頃から全身痛があり、線維筋痛症と確定診断されて、痛みやハンディを抱えながらも、今日一日を喜び生活しています。