空手は突きや蹴りで攻撃しますが、受けもあります。まずは受けです、心身を大丈夫にして、どんな強い攻撃にも忍耐強く耐えられる、あらゆる攻撃を受けられるような身体と心を育み養う為に、自己鍛錬があります。
心も身体も両方です、バランスよく、調和をもってです、そして、知識や知力と技術や技能を習得し養います。自己研鑽に勤めます。
日本人は、完璧主義な人が多いから、完全を目指すあまり、少しばかり実践して完璧じゃないと思い込み、無理となり、もう自分も修練も嫌になって自分から放棄して放逐してしまう人も割といます。
しかし、物事を成らせるには、時間も忍耐も労力も全て要りますから、完璧に至らない自分をまずゆるして、あー自分はまだまだなとゆるして生きた方が賢明です、自分に謙遜に成り自分の不実を正直に受け止めて喜ぶ事です、そして、完璧目指して、生涯を歩もうと決意して、一つ一つ鍛錬をしていったらいいです、マイペースで、誰かに同調する必要は一切ありません、
誰かが助けが必要なら自分の精一杯を懸けて助けてあげればいいし、助けてあげたいが自分に無い物ならば、その人の最上の幸福の為に祈れば良いし、自分は自分という、自己認知をしっかり持って、一歩一歩、歩んで行くといいと自分は思います。
完全と完璧と言うのは、人は不完全だし、万能で無いから求めるのだと思います。
万能な人は居ませんから、みんな不完全です。
万能であるとされている存在は、神仏ですから、その万能さ完全さ完璧さを目指して生きるのが楽しい訳です、挑戦しようと、なるからです、どんなにも打ちのめされても、挑戦する力と意志です。
完全に善い事柄を探求し探究して行ったらもっと楽しい人生を送れます。
自分次第ですから、自分の人生を楽しくするか、詰まらなくするかは、
他者とか他の物事は関係無いです。
互いに労り滋養的な世話をしようとしたらいいです。
そして、それぞれの個別の道程を実直に歩めばいいのではないかと思います。
一人一人は、家族でも全く違う存在で、まさにユニークだからです。
だから個別化というのは大変に重要な概念です。
全体とか集団とか出ない概念ですから、
組織は人なりといいます。
だから、組織の能力の機能にも、当然に、限界はあります、なんでも出来るとか完璧とか完全だなんてありません。
故に、自己の能力と限界性もよく評価、アセスメントする必要があります。
診断とか、審判の前のとても大切な作業です、
より良いアセスメントは、自己も他者もよりよくしていく事を可能にします。
アセスメントは、様々事柄についての情報収集と適切な査定の事です。
人も、組織も、サービスも、物事も、アセスメントの対象です。
自分をどれだけに成せるかは、自分の心技体によりますから、
特には、心をよりよく鍛錬するのが好ましいと思います。
人は時に、事故や病気などで、健康を害したり、障害を抱えたりします、
故に、心技体の技や体を思うようには駆使出来なく成る時も有りますし、意識があっても、喋れなくなったり、寝たきりになったり、植物状態になったりもします。
でも、一人の人としての完全さ完璧さ完全な善いは目指して挑戦できます。
忌み嫌う必要は一つもありません、
いろんな労苦を抱えながらも、意気揚々と生きれますから、
そうやって実践している人達もいます。
可哀想な人達ではありません、
懸命に生きている人達です。
だから、互いにどんな人も尊重して、思い遣り、真心を配る事が賢明です。
琉球、沖縄から本土に迎えられた、空手の真髄は、それを教えています。
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