身体が不自由だから空手は出来ないかと言えば、出来ます。
自分は幼少期に右目や左耳は事故や病気で不自由です、ずっと障害を抱えて生きて不都合は沢山山のようにありました。しかし、自分の意志では蘇らせる事もできませんから、自分の現状や現実は冷静に受け止めて、この中途半端な身体で生きるにはどうしたらいいか研究してきました、それが、ソーシャルワークを学ぶ動機の一つでした。
何らかの脆弱性を抱えた人が、この荒くれ世で、生きるのは大変さがあります。
しかし、自分にある善いものを育成して養う事で、自分の生きる術になれば、他者への贈り物にもなります、
人は不完全だし、儚い弱いし、必ず死を迎えます、
別に死を忌み嫌う必要はありません、
精一杯、善意をもって今日一日を生きればいいのですから、
それで本来充分です。
自分は、仕事をしながらも、その後に、椎間板ヘルニアになり、手術して、後も、なかなか痛みが消失しないで、だましだまし、激務に身を呈してきましたが、顔面麻痺や、全身に広がる痛みがあって、いろんな有名な都内の病院を巡らされて、最後は、東大の脳外科出身の医師に出会い、線維筋痛症と確定診断されて、標準的な治療を10年以上前からしていましたが、なかなか全身の激しい耐え難い痛みは消えません、あらゆる治療を試し、高額な漢方や針治療や整体施術などもいろいろと医師の了解と勧めで試しましたが、回復も改善もしません、
その為に、痛みを受け流すという発想に切り替えて久しいです、痛みを意図して意識しない、痛みに支配されないで、痛みに焦点化しないで、認知を制御して、身体も軽度に動かして生きる事を継続しています。
状態が酷く成ると、ほぼ寝たきりになりますから、
それを予防する為に、自分から痛みの増幅が無いように考慮して体操や運動をします、
それには、空手の呼吸法や、身体の活用法なども取り入れ、例えば、三戦を毎日、立ち位置をイメージして、重心を下げ、丹田と頭頂部の線をイメージして、数分や数十分程度、意識して実践したりもしています。
線維筋痛症は、外見からは分からないので、
その本人しか苦しみは分かりません。
じっとしてるのが非常に苦痛で痛みの嵐で、歩く方が足の裏が地面に付いているだけだから、足裏の痛みを感じながらも、歩いてるのが、痛みに集中しなくて善いので、メリットがあります。
寝たり椅子は非常に苦痛で、とても身体はしんどいですが、筋肉の衰えは避けたいので、トコトン忍耐して、なんとか糞意地だして、日々を過ごしています。
言いたい事は、人間の身体は回復力があります、しかし、限度を超えて自分を酷使したり痛みを忍耐だといって我慢しつづけたりしないで、適切なケアや世話を自分でしてあげる機会をちゃんと持つことが賢明だという事です。自分の限界を超えると、その後の回復には時間もかかります。まあ、どんな時にも希望はいつももっていまより善くを目指して生きたらいいとは自分は思っています。
自分は、対人サービス、対人支援で、人の生命、生き死に直接関わる仕事ですから、
大きな都心の病院での業務はまさに実際は野戦病院のそれでした、故に仕事で自分を酷使し過ぎてしまった結果です、責任が非常に重い仕事であったので、患者さんや家族の一人一人の人生がかかっている現場でしたから、気を抜かないで、全身全霊を傾けて来ました、
そういう意味では、自分は満足していて、気に病む事柄は無いです、
しかし、自分が関わった多くの患者さんやその家族は忘れられませんし、中には、自殺してしまったり、病状が悪化して急死したり、殺されてしまった人もいたり、殺人を犯してしまった人もいたり、覚醒剤依存で逮捕されて今は依存症の専門リハビリをして回復を目指して今日一日を生きている人もいたり、
まさにいろいろな、個人個人、それぞれに個別の出会いがあり、いろんな事柄を教わりました。一人一人の最高の幸福を願って止みません。
今も、ソーシャルワーカーとして自分はいますが、常にフィールドで生きていますので、自分の身体的な都合を勘案しながら、今よりもより善くをモットーに、最期には、完全に完璧に成るように、毎日楽しく勤しんでいます。
自分に不可能なものは、それを誠実に受け止めて、自分に変えられるものは、変えてゆく勇気をもらい、一つ一つコツコツと煉瓦を積み上げるように地道に作業して、変えられるものか、変えられないものか見分ける知識や知恵は神様に求めながら生きています。
子供を通じて、極真空手も実際に体験することが出来たのは、自分にとっては、まさに金では買えない宝物です、非常に多くの善い素晴らしいものを得ることが出来ました。
日本の武道ですから、様々他の武道とも比較検討出来ますし、共通の事柄や違い空手でも極真空手としてのユニークな部分を知る事が出来た事も収穫でしたし、
世界のマーシャルアーツなどの見聞もかなり広がり、まだまだ興味や関心は尽きません、
以前から関心があった南インドのカラリパヤットや、中国の少林拳、各種の拳法や武器術やアジアの各地ねマーシャルアーツや、琉球から日本への伝来などについても、大変に面白いし、今それが、日本の各地で実際に開催されていますから、なを面白いなと思います。
武道は何も健康体の人しか出来ない訳ではありませんから、
心身にハンディを抱えている人でも、充分にできます。
心技体は、完全完璧を目指して行きますが、
人は不自由さを抱えたり、変化します、加齢も、身体能力にも、変化します、
しかし、不変なもの、普遍的なものとして、武道はありますし、心技体の調和、球体としてのイメージですが、水のようであってもいい訳で、
武道をやりたくて、心が適切であれば、拳を握るだけでも、武道の鍛錬だし、呼吸を整える方法をマスターするのも鍛錬ですから、
その人の能力や状態に応じた修練は可能です、
格闘技とか武術は、
技を会得するには、心が一番大切です、
つ
人や物事を不正に破壊して傷つけ侵害する事柄に決して利用してはならない事です、
だから、常に善意を持つ事です、自分からあらゆる悪を排除するように勤める義務が、武道を倣っている人にはあります。
そのように、武道の先生からは教わってきました。
これは人として大切な事柄だと自分は思ってさらに自己研鑽に勤めたいなと思っています。
後は皆さんに言いたいのは、慢性的な痛みがあれば、特にですが、自分をセルフネグレクト、放置したりしないで、適切に世話して下さい、医療が必要な場合もありますから、自分の心身についても大事に大切に労る事も、人として大事で大切な事です。
それは過保護とか、厳しい精神性とは全く違いますから、心配性とか不安とかとも違います、
人の心身を適切に扱い傷つけ侵害しないて、大切に大事にし、より滋養的な世話をしていく事が本来、一人一人に必要な事柄だからです。
0コメント