自己覚知

ソーシャルワークは、自己覚知を促します。クライアントもソーシャルワーカー自身もです、両方、アプローチします。
セルフアウエラネスといいますが、
自分自身の有り様を身も心も霊魂について、よりよく知るという為の作業です。

その目的は、より善く生きる為だからです。

自分自身を適切に大切に大事にしようとする働きです。

自分にも思い遣り真心を持って接する事です。また、他者にも思い遣り真心を持って接する事です。

それを実直に目指して、日々を過ごす事が出来たらより幸せに成るからです。

人生は、一人一人違いますから、
相談支援援助には、個別化が必ず必要です。

クライアントを尊重する事です、

操作し支配し調教とか、人心人身を創り上げるとか、改造するとか、自分の理想に仕立て上げるとか、そんな事はしません。

ありのままを受け止め、善く聴き、必要な世話を提供するだけです、

主体は、あくまでもクライアントです。

クライアントの人としての必要性をよく観察し、アセスメントとして、課題や問題を整理して、一緒に情報を共有して、一つ一つ、相互に対等にやりとりしながら、誠実に、コミュニケーションをとり、思い遣り真心を配り、一緒に伴走または共に歩をあゆみながら、立ち止まり、休憩したり、迷ってしまったら、立ち戻り、また前進して、同行二人で課題達成や問題解決を為していきます。

あーしろ、こーしろといいません、

レッツ何々です、

さあこうしよう、してみよう、という促しで、クライアントの自由意志に働きかけますが、強要や操作はしません、
怒声で脅迫などももちろんしません、

誠実にクライアントの意向を聴きとり、丁寧に対応します。

何々して欲しい時は、
しろ!では無く、

プリーズを使います。

お願い何々をお願いしたいと、提案して、命令はしません。

互いに対等に関係を維持します。

年齢は関係ないし、知識や経験も関係ありません、ただ、あなたとわたしの人と人の関係で、互いに滋養的な世話をしあう、つまり、互いに思い遣り真心を持って接するという事柄を学ぶ場面でもあります。

つまり、一方的な支援関係では無く、ソーシャルワークにおいては、互いにより尊重しより慈しみ大切に大事にしていきましょうという良好な関係を築く事を作業としてはします。

だから、敵か味方とか、善人、悪人とか、
偉い人とか偉く無い人とか、力強い人とか、力弱い人とか、そういう人間の属性には支配されない、自主自由な関係です。

どんな人でも関係ないし、支障はありません、

唯一無二の一人の人だからです。

クライアントもソーシャルワーカーも、
それぞれは、唯一無二のユニークな存在です。
他には居ないから、

その出会いは、非常に喜ばしい事柄です。

世界は70億を超えた人々が生きています、
今生まれてくる人もいます、今死を迎える人もいます。

一人一人は心身を持って生きていますから、
しかも、一人一人ユニーク、全く別の存在ですから、互い尊重し誠実に受け止め、思い遣り真心を配り、互いに滋養的な世話や関わりがより善いと自分は思います。

人々は傷つけあい、侵害しあい、苦しみ、悲しみ、苦悩を抱え、生活にも支障を抱えています。

それを、今よりもより善い状態に、一緒に緩やかによりよく成るように働きかけ、よりよさをクリエイトしていく作業が、ソーシャルワークです。

格闘技や武道は、マーシャルアーツといいます。

人が発明し人が創り出した物事だから、アーツなのです、人工物という意味です。

ソーシャルワークも、アーツです、

様々なサイエンス、科学知識を援用して、人々の生活の質をより善くしていく為の道具です、ソーシャルワークは、
だから、アーツです、

アーツは技能とも訳されますが、
技術だけあっても足らない、哲学が必要です。

科学知識や科学技術は諸刃の剣ですから、
人殺しも出来るし、人にとってより善い事柄にも活かせる事もできます。

つまり、技術や知識は使う人の心と脳の問題と密接に関連してくるという事です。

だから、何の為に、生きるのか、が、
人てしての大きなテーマ、命題なのです。

人として、何を極めるか?です。


ソーシャルワーカーの奥田力
(社会福祉士、精神保健福祉士)





これは「私」のサイトです。(国際空手道連盟極真会館 秋田県本部安斎派 阿崎道場の旧サイトです。公式サイトは記事にリンク先を掲載しております。そちらから公式ホームページをご覧下さい。)

ソーシャルワーカーズの 代表のソーシャルワーカーの奥田力の個人サイトです。 長男が熊岡先生の極真空手の道場に通い始めたのが2010年9月からです。自分も一緒に付き添い、阿崎先生の勧めもあり、自分も健康コースに入門して、2019年8月に審査を受けて10級に昇級できました。自分は2003年頃から全身痛があり、線維筋痛症と確定診断されて、痛みやハンディを抱えながらも、今日一日を喜び生活しています。