自分は1992年4月に東京都に入都して、中央研修や局研修を経て、辞令を受け取った職場が都立松沢病院でした。精神科PSW室に配属されました。今は病棟群が新築されて新しい建物になっています。懐かしきかな我が家です、何故なら、世田谷の上北沢1丁目全部が松沢キャンパスで、沢山の樹々に囲まれて、昔は、リハビリや社会復帰の為に動物の飼育や畑作業なども実施していたし、広大な敷地には、30も病棟がパビリオン式になり、グランドもあり、作業療法で患者さん達が作り上げた日本庭園もあり将軍池もあります、芦原将軍というパラノイアの患者さんが入院していて、新聞に何度も彼の言説が掲載され日本中の注目を集めて、政府関係者や明治天皇さんも会見して、芦原将軍は、明治天皇「よう兄貴」と声をかけたという事です。マスコミは、芦原将軍の言動を活用して、時の権力の批判をしていましたが、芦原さんは人気を博し、修学旅行の行き先にもなった程だそうです。
都立松沢病院は、癲狂院といわれ、はじめは、上野お山にありました、養育院というのもあり、ホームレスの方や親のいない子供や身寄りの無い高齢者を収容した施設です。
癲狂院はその後巣鴨に移ります、東京府巣鴨病院になり、その後、東京帝大の精神医学教室の教授で、巣鴨病院の院長であった呉秀三
先生のアイディアで、患者さん一人100坪の敷地を確保し、現在の世田谷区の松沢に越してきました。みんな総出で、巣鴨から松沢まで患者さんの中で歩ける方は徒歩で引っ越ししたそうです。拘束しないで、自由な療養環境を用意したかったのです。呉先生は、ドイツに視察に行っていますから、当時の最新医療技術や方法を日本に実際に導入した先駆者です。その思想は普遍的です、今もいろいろな差別や人権侵害があります。
いろんな価値が交錯する中で、最も価値ある事柄を選別し選択し実際に実践するには、なかなか力量が要ります、しかし、弛まぬ努力は必ず実を結ぶものです。松沢病院の会議室には、呉先生の「学習」とい扁額が飾らてあります。精神科デイケアの書道の講師の先生は、あまり上手ではありません、でも、味わいがあってよい字ですと評していました。
興味や関心がある方は、検索や実際に訪問を勧めます。
資料館には、芦原将軍の脳がホルマリンの液体に保存されていたり、デスマスクなど、他の明治期からの松沢病院の歴史も展示してあります。自分は他県からの関係者の見学案内もしていましたが、精神科医療に従事している方でも、松沢病院ははじめてという人達ばかりでしたから、ポイントを押さえて、いくつか松沢の特徴について説明して、広い敷地を巡っていました。松沢の広い敷地に過去から何人もの人々が脳の病気と心の病いを抱えて過ごしていた場所です、入院50年という方もいました。10代に発症して入院してそれからずっと松沢で暮らしていた人です、昔の病棟は古いものは、畳敷きで、寝るときには、みな押し入れから自分で寝具を出して、床に一面に敷き詰めて30人くらいの集団生活そのものでした。今はもうそのような病棟はありませんが、収容施設となれば最近までは、そんな環境でした、児童養護施設も高学年になれば、大部屋に回され40人くらいの集団生活でした、最近は、病院も施設も、個室化がされてきていますが、対人サービスの個別化は、まだまだです。
パーソナルサービスといいますが、一人一人のニーズに即した、ホスピタリティーの高いサービスが望ましいと思います、何にお金を投資するかの話でもありますが、
一人一人のタラントが引き出され、病気や障害にある無し関係なく、その人、その人のタラントがよりよく実のる事が一番に望ましいと自分は思い、日々ソーシャルワークを実践しています。
ソーシャルワーカー奥田力
(社会福祉士、精神保健福祉士)
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