排除しなければならないのは、自分の思い込みや妄想、事実誤認、よくよく事実を一つ一つの事柄を、多角的に観察して、評価しないとなりません、アセスメントです。
そして専門的な判断をしますが、一方的な主観で審判は回避しないとなりません。
ソーシャルワーカーはクライアントの支援について、常にさまざまな項目についてアセスメントしながら支援を計画し実際に支援をしますが、支援はクライアントと協働作業です、指示命令指導監督教授教化矯正などはしません、もちろん治療なんかはしません。
クライアントと二人三脚で、共にの精神、伴奏者です、また、同行二人の精神で、共に重荷を背負う事です、
支援プロセスでは、常にマルチに評価します、また、自分自身の評価も必ずします、
自己評価、自分の思い言葉行いについても、アセスメントします。
慈愛を持って支援しているかです、
つまり慈愛を、もって、仕事や作業をしているかです。
クライアントである相手を思い遣り、真心を相手に配っているかです。
相手から何かを得ようとして、相手を利用して乱用し自分を満足させて無いか、厳しく自己を見詰めるのです。
自分を鑑みるのです、しかも、ソーシャルワーカーとして、厳しく自分を査定します。
そういう作業は、本来、スーパーバイザーが必要です、自分はいつもスーパーバイザーに自分を査定するための支援をしてもらっています。
そうしなければ、クライアントのニーズを適切に充足出来ないからです。
それでも、瑕疵はあります、不完全です。
だから、常に謙遜に自分の成り様を見て有り様を糺していかなければなりません。
こうに違いないと断定し、こうなんだなと断罪は避ける事です、できるだけ、自分の幼稚さを回避して、客体視するのが賢明です。
一度アセスメントしたからその評価でいいとならないで常に多角的な視点でマルチアングルで人事や物事を把握しようと、自分から接近したり、遠ざかったりして、対象との間合い図る必要もあります。
まさに、球体や水の如しです。
なかなかに難しいですが、完徹目指して、何度も何度も挑戦し、トライアンドエラーしていくのは楽しいです。
疲れたら休み、回復したら、再挑戦、
最善を目指して、至高善を求めて、生きてみるのは、おもしぇなとなると思います。
自分の人生が、夢のまた夢だとならないように生きた方が賢明です。
妬みとか嫉みとか羨みとかは、自分から完全に捨て去り、排除して、
純心に、至高善を目指して、自分自身を鍛錬していくのが賢明で楽しみの豊富な喜びに満ち満ちた人生に成ると自分は思います。
ソーシャルワーカーの奥田力
(社会福祉士、精神保健福祉士)
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