自己鍛錬は何処に居ても、当人にやる気や興味関心があれば、自主的に実践できます。
自分は幼少期から毎日鍛錬でした。父の教育は厳しく、毎朝五時に起きて、洗面し、口をゆすぎ、玄関掃除から始まり、神棚、仏壇の清掃に、礼拝です。長々と祈る事はありません、神さま今日もどうかよろしくという祈りです、神前に手を合わせ、また、仏壇では先祖の弔いと感謝と今日一日の見守りを祈願します。寝る前には、神さまありがとう、また明日もよろしくと祈り休みます。
単純な祈り感謝する気持ちを保つ事でした。
それから食事、自分で支度することも多かったし、茶碗も、一粒残さず、湯で洗い飲み干すという内容です。
誰も居なくても行って参ります、ただいま戻りました、でした、
正面玄関は入れないから、家人用の玄関で、靴を揃えて、家の中も綺麗にしておくようにいつも言われます、
立派な建物ではありません、むしろ周囲からはやしめられる家でした。
まさに18才までは修行でしたね、季節の節句などは欠かさずに、丁稚の経験のある父で中卒ですが、県の公務員として採用されて、冬はグレーダーで横手の街中の除雪です、深夜に出動して、綺麗に道路を除雪する腕前は素晴らしいかったようで、技能コンクールでは表彰も何度もされていた職人ですね、母も床屋のお師匠さんに若い頃から住み込み修行でしたから、二人ともに人様に使えるとい精神で奉仕するという事がどんなかを自分に教諭してくれました、それは確かに今非常に価値ある事柄でした、正に武道の真髄を教わったのです、忠心孝愛というのは何かです。
これは右翼とか左翼とか思想信条などでは無く、人としての真心だという話です。
先祖は武士でした、また神道の家系で、自分には、いろいろと厳しくも有益な精神修養であったのは確かだなと思います。
これを何も投げ捨てたりする必要も無いと自分は思っていて、自分が親や先祖から受けとったもの、授かった心と精神は大切にして、さらに、良く、また、より善くなるように、鍛錬していこうと思い、それを惰弱ながらも、日々実践して今に至ります。
我が子を通してですが、極真空手に接して実際に手ほどきを受けて、日本の武道である空手にさらに接近できた事柄は、自分にとっては、金銭には代えがたい宝物です。
本荘の旧本部であった斎藤師範や、湯沢支部の熊岡先生や阿崎先生や、他の多くの空手家の皆様に出会えて有益な交流の機会を提供してもらえて非常にありがたいと本当に感謝しています。
今自分は基本の三戦について、研究してます、実際に何処もできるからです、力を込める身体の部位とか、イメージして、実際に家や移動の電車などでも、立ち方の研究などを実際に揺られている車内で実践などしてみています。それだけも全く飽きる事は無いので、楽しく過ごしています。
ソーシャルワーカーの奥田力
(社会福祉士、精神保健福祉士)
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