最近は、審判しないで、裁かないで、よく物事を査定して、評価するという手法がメインストリームです。ある一視点だけで無く、多視点で、マルチアングルで、外からも内からもよく調べて一定の評価をするという手法をいろんな分野で実施しています。
出来るだけ、偏りなくある人物や信念の基準だけに偏らないで、人物も物事も査定しましょうという流れで、社会的な価値になってきています。つまり、いろいろ分野を含めて総合的な判断をする事です、また、一度の評価でラベリングしたり、スティグマ、烙印を押さないで、人や物事は変化するものという前提で、いろいろな物事を実践しなが、査定も、つまりアセスメントを繰り返すという手法です、絶対的な断定はしない、で、つまり決めつけはしないで、評価をし続けていくという手法かメインになって来ています。
だから、あまり人や物事を排除排斥排他的に接しないで、相互作用を活発にして、
より善いものを選択するという思考です。
これは、互いに尊重し合う方法で、一つ二つの事柄で、自分も他者も審判したり、裁いたリ、ジャッジメントしたりしない事です。
裁いたりするのは、不完全な人間には完全に出来ないからです。
人間には遊びの部分があります。
寛大さ寛容さ仁慈の心を養い保持する事です、それは、ふざけることや、不埒さとは違います、
いい加減、適切なかかわりです、
それには、ニーズをよりよく知る必要があります。
欲求では無くて、必要性をよく調べてみることです、
アセスメントは、そのニーズを調査する事が必要に成りますから、また、人や物事の部分も査定し、さらにその対象と他者や他のしくみやシステムとの連関や相互作用も評価します。
全体を構成している要素のそれぞれの関わりをもアセスメントします。
だから、アセスメントは、診断や審判では無くて、より多面的多要素をよく調べてより正しい情報や事実に基づき、それに対応をしていくら為の、とても大切な過程で、作業です。
このアセスメントと手抜きして、意固地に主観的偏りの激しい判断をしてしまうと、その先の対応で、かならず、大きな支障が出てきますから、丁寧にアセスメントはして、多面的多要素多角的より客観的評価をしていく事が大切で肝要です。
100か0かとか、白か黒かとか、
他罰的自罰的とか、敵とか味方とか、
善か悪かとか、非常に極端な思考パターンを持って物事や人物を裁断するのは、人を侵害し傷つけます。
それは自分も裁き侵害し傷つけてしまうからです。
ゆえに、信念や観念は理想として鏡にして、しこしでも、それに自分をちかずけようと勤しみながら自分の不完全さを受け止めて、それも楽しみながら、完全な者に成るように、自己鍛錬して生きるのが、賢明だと思います。
心技体は、何か出来るとかいう価値では無くて、自分自身をよく理想的な鏡に照らし映して、不完全な愚かな自分を、陶冶し鍛錬する過程の中の三つの分野で、生涯に渡り、アセスメントする項目でもあります。
人は儚く弱い芦のような存在です。
心と肉体を持って生きる為の技を獲得して、その技を使いながら、それぞれは生きている過程にあります。
技は善悪ありません、
その技を使う人の心の中に、善悪があります。
人は完全に善でも無いし、人は完全に悪でも無いです、
グレーだったり、白だったり、黒だったりと、様々なグラデーションがあり、部分部分が違いますから、
一つの視点、一つの基準で、断罪しない事が肝要です。
人は不完全だから、人の審判や裁判や裁きは、やはり、不完全なのです。
皆一人一人は、そういう意味では、ゆるされている存在でもあります。
互いにだからゆるすというのは、非常に人として大切で、また、自分の中にある悪は肯定しないで排除した方が賢明だし、幸せです。
どんな悪人でも、善い部分を持っていますから、また、人はその人は、世界で唯一の存在です、だからとても貴重だし、大切だし、不要な人は一人もいません。
自分自身も貴重で大切で大事だし、自分以外の他者も貴重で大切で大事です。
個別にそれぞれみんな一人一人はどんな人でも、どんな極悪非道な人だとしても、
一人の人として、その存在として、大切で大事です。
このような価値や価値観は、世界標準で、普遍的な価値と価値観です。
日本は、世界の極東にあります、
地球はグローブ、球体です、
ローカルな価値観や価値も、ありますが、
世界的な共通の価値もあります。
秋田は、秋田の人々の価値や価値観はどんなものか、調べてみたら、とても面白いと思います。
価値とは、バリューといいます。
イオンの、トップバリューのバリューです、
価値は、大切な物事についてです。
何を一番大切にするかは、一人一人の指向性や、嗜好性や、志向性によります、
個人の価値と社会の価値が違う場合もあるし、共通する場合もあります。
ある研究では、個人の価値は、社会や国家ねた価値を最終的には選択してしまう傾向が強いそうです。
これは、価値の内在化といいます。
一人一人は、自由意志があり、自分の思いで、いろいろな価値を取り入れたり捨てたりしています。
そんな内的な作業を人はいつもしながら生きて生活を営んでいます。
何がメリットがありデメリットかは、やはり価値や価値観により決められる事になり、人は相対性を抱えてながら生きています。
一方で、社会正義とか、社会哲学とかいう分野もあります。
より善い物事、価値を選択していく為の学問分野です。
様々な価値、相対的な価値の中から、価値の葛藤や両価的な状態を、倫理や道徳に照らして、より善い価値、物事を選択するという作業です、
これは充分なアセスメントが必要で、物事や人事について、短略的に裁決断行しないのがセオリーで、原則です。
その為に、人にとって一番価値あるものは何かを自分でよく考えて、探究し探求する事です。
哲学は、考える事ですから、
小さな子供でも、十分に出来ます、
子供も、一人の人間ですから、大人の所有物ではありません。
一人一人の子供ははじめからユニークです。
お母さんの胎内に宿った時から、ユニークなのです。
子供は親の所有物ではありません、
児童虐待や子供虐待などは日本でもやっとメインストリームになりました。
つまり沢山たくさんの子供の犠牲がいままですざましいくらいの件数と量になっています。
親や大人からマルトリートメントされて、心身や脳や霊魂を侵害されて来た子供が沢山たくさんいます。
ほとんどが声を上げていません、
何人も殺されいるのにも関わらず、大人や親達は、無関心か否認しています。
それでは、何もよりよくは、なりません。
少しでも、より善くしていくには、
誠実に自己を受け止めて、よく調べてアセスメントする事です、
その時、自分を裁かない事です、
断罪しない事、
自分にある善悪をただ誠実に受け止めて、否認しないでよく観る事です。
そして、善い部分は伸ばして、悪部分は自分で、諫め戒め、改善していく鍛錬が必要です。
自分の、中にある、諸悪、つまり、悪い習慣を、改善するには、すぐにはできませんし、一人では困難ですから、誰か適切な人に支援してもらいながら、一歩一歩歩み、改善していきます。
通常、完全で完璧な存在は、人間では無く
、神や仏ですから、
神仏を尊ぶ心は大切だと言う事です、
それは、克己ですし、謙遜に成る為にです。
自惚れ自分の力を乱用し他者を侵害し傷つけない為に必要な、徳目です。
自分も他者も、大切に大事にする為に必要な項目です。
ソーシャルワーカーの奥田力
(社会福祉士、精神保健福祉士)
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