秋田の価値は、家長制度がやはり価値としては大切にしていますね。
父さんの判断というのが重要視されています。
男性への過剰な役割期待でもありますが、家庭の中では、秋田県の人々は、どうしても、伝統的な社会の価値や地域の価値や県という大きな地域の価値を、選んで生きる指針にしていると思います。
女性は裏方的存在であったりもしますから、必ずしも男尊女卑では無いだろと思います。
夫婦や親子も様々ですから、各家庭や個人個人の実情もあります。
ただし、秋田県民にある価値とか価値観などは古い伝統的な価値も沢山残っているし、一方で、新しい価値観や価値も散在していますが、
やはり、チグハグな部分もあるし、千差万別で、何か偏りがあるものも存在していると思います。
今よりも少しでもより善く良くしていきましょうというゆるい指針は、人を縛りつけたり、自由を侵害したりしないから、善いなあと自分では思っていつも行動指針に採用し、自分の、モットーにしています。
人は変われるけど、直ぐには変われないからです。
物事なら急変も出来るでしょうが、
人は物や機械やロボットでは無いから、正に生き物なので、
適応的自己組織化という特性があるのだそうです。
自己組織化というのは
人間の発生に関しては、
一つの受精卵から、小さな卵から、みな、一人一人がおがってきているのですから、
そこが、人工物と全く違う所です。
なので、一人一人には、自主自由がありますし、胚の分化発達、各臓器が、形作られていきますが、誰かに作られるのでは無くて、自己組織化していっています。
人間の発生と、生き物でも、人間は、
意識や心かあり、脳と脳神経の発達もあり、さらには、喜びというものがあります。
これは、喜ぶのは、物理的な現象では無いのは皆さんも理解できると思います。
感情や情動は、気分は、刺激に対する脳と心の反応と変化の結果です。
脳からは、いわゆる小さな小さないろいろな物質が放出されています。
ドーパミンやノルアドレナリンやアドレナリンやセレトニンや副腎皮質ホルモンやオキシトシンなどなど、沢山あります、しかも、微量です、過剰に意図的に投与したら脳内のバランスは崩れてしまいます。
覚醒剤は、快楽物質であるドーパミンを過剰に放出させる働きがありますから、最期は、使用し続けると、脳細胞や脳神経は一部破壊されてしまい、覚醒剤精神病や脳内出血になるなどし心肺停止し即死します、
オーバードーズ、つまり使い過ぎてしまい、物理的に身体的に許容範囲を超えてしまうのです。
気分を高揚させたいからとか、身体の痛みを緩和したいから、トラウマや心の傷の苦しみを避けたいからとか、いろいろ薬物を使う理由はあります、
ただ薬物は、脳に強く作用して、気分を変えるだけだという事です。
喜びを増やしてはいませんという事です。
何故ならただの物質だからです。
人は、物質にいくら満たされても満足しません。
それは皆さんがよく知っている事です、
むしろ余計な物は、排除するのが、より善く生きるにはいいです、
余計な物というのは、人を侵害し傷つけ破壊してしまう物事です。
化学物質や環境ホルモンなども、人の脳には相当な悪影響を及ぼしていますし、
最近の研究では、ネオニコチノイド系の農薬使用により、子供の脳神経の発達に様々支障がある事が研究で判明して来ています。
ヨーロッパなどでは使用を中止している農薬など、日本では存分に利用されています。
いわゆる発達障害と言われている子供や大人は、ネオニコチノイド系の農薬を使用している国々に沢山いるといるという相関があります。
これは一つの家庭の家族の問題では無いという証でもあります。
生態系、つまりエコロジーという考えで見れば、みな小さな物やバクテリアから人や国家の有り様に全て連関し、関係し、相互作用していると理解できます。
エコロジーは、環境問題という人間外の話ではありません、
人間の内部にも非常に密接に関わっている話です。
秋田は自然環境には非常に恵まれています、また、農業がやはり中心です、
それは家長制度に支えらて来た経過も多分にあります。
権威ある人に絶対服従という土壌があります。
農薬の問題もそうですが、財閥系の企業が独占していますから、悪しき事ありきでも無視するのが日本の悪しき習慣です。
金があり力がある者に完全に従ってろ!とそういう仕組みと、価値があります。
それを尊重します、
これは儒教の教えそのもので、日本は韓国と同じく儒教を長く非常に大切にして来ました。
何でもかんでも上位に従うのを美徳にしたのです。
これは徳川幕府が日本を支配する為の政策の大きな柱でした、日本人の隅々まで、檀家制度を作り、仏教を、使い、管理監督して、武家は儒教を使い、お上には絶対に逆らえないように思想統制したのです。
江戸時代から日本は社会主義的、一党独裁的共産主義のような社会だったのです。
お上に逆らったら、排除と死刑でした、
各地には処刑場があります。
横手は安田原です、院内は柳原とか千福寺界隈で、湯沢は、西馬音内と湯沢の境の柳田という場所です。
秋田市には帝石の場所です、八橋の草生津川の向こう岸界隈で、羽州街道筋です。
江戸界隈も、大田区の鈴ヶ森や浅草鳥越や芝札の辻とかです、
強権的支配と恐怖政治で、反対する者やルール違反者には、厳罰主義で、見せしめで、拷問後に磷付獄門です。
日本は共産中国とか北朝鮮より先に、かなりの恐怖政治を江戸時代にしていました。
今の習さんや、金さんや、ロシアのプーチンさんらは、素晴らしく、江戸時代の特に徳川三代の統治を勉強してマスターしています。
日本は世界でも稀なる社会主義が成功した国と言われています、
そういったのは、
かのミハイル・ゴルバチョフさんです。
日本は自由はありますが、社会のしくみは、かなり社会主義ですから、実権のあるお上がやはり統制して日の丸親方という素地はあまり変化していません、
特に秋田は、家長制度か基盤にあるので、秋田の統治方法や秋田で暮らしている人々の価値とか思考パターンなどは、このようなお上に服従するのが美徳でメリットがあるのだという価値観だろうと思います。
だからあまり悪い部分をより善くしていきましょうという話し合いとか、ディベートとか、討論はとても苦手な人が多いと思います。
みんなで、同じテーブルに、意見をそれぞれ出し合い、よく互いに知り、情報を共有して、一緒に査定しアセスメントして、課題や問題を整理し、分類したりして、それぞれのテーマで議論したり、意見出したり、反対意見や賛成意見やその理由を出して、開示して、みなで、共同し協力して、解決し課題を達成しようとはしないし、やる気がないし、そういう方法を学ぼうともしません、
だから秋田はあまり善く変化しないのだろうと思います。
秋田には国際教養大学などもあり、非常に優秀な学生さんも、日本のみならず、世界から集まって来ていますが、
どうも、学術的な学問的な分野は、秋田の県南部には配置されていないのがとても気がかりですね、
これからの秋田は、今の若者や子供達が担いますが、大人は、善い物事を、子供達に、手渡したらいいと思います。
それが思い遣りだし真心を配る事だからです。
自分より子供達や若者の最高の幸福を第一優先したら善いと思います。
ソーシャルワーカーの奥田力
(社会福祉士、精神保健福祉士)
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