障害というのは、障りと害悪の害だから
意味や解釈や印象やイメージは、悪い嫌な意味です。
脳の血管に血の塊が詰まれば、血栓とかいいます、血管にドロドロになった血液が塊、血のめぐりを止めてしまうから、脳の神経細胞には必要な物質が届かないから、細胞は死んで滅びます、そうなると、人間の知恵でも技能でも、どんなに強い気持ちや意志や意志の力があっても、死んだ脳神経細胞を復活させるのは不可能です。脳の神経の代替はありません。しかし、今、最新の研究開発では、いわゆる科学技術では、脳神経に電極を設置してマイクロチップを埋め込み、壊死した脳細の代替にしていこうという研究もされています。また、さらに、AIに連動させて、膨大な知識の活用を直接に自分の脳とAIが結びつけて、瞬時に物事のやり取りを可能にしようとしている人々もいますし、かなり実験は終わり、実用化に向けて準備しているある企業もあります。
人工知能を人間の脳に結びつけて、全能な人間を創造しようとしています。
これはSFとか、漫画の世界ではありません、
人により具現化されている事柄です。
非常に倫理的な問題があり、日本でも、そのような企業があります、日本人は、無神論だから、人間をサイエンステクノロジーで如何様にも作り変えたりしても、何にも問題は無いだろうという発想です。
人間と人間の肉体や生命は人間の物だから、人間が自由に思いのままにできるし、ただの物だから、利用しまくってもいいのだ、社会の進化発達の為にはとても善い事なんだ、どうせ人間は死んだらお終いなんだ、0に成るから、死んだら虚無だから、
今ある物質や物体は社会の為に有効に有益に利用するから価値があるのだという考えや思想、いわゆる哲学です。
これは人間はただの物であるという考えで、非常に人の存在と生命に関する倫理に関連します、
障害は、機能不全や働きがうまく働きが出来ないから生じる不都合や支障です。
物理的に壊れたり、状態が変化したりして期待される役割が遂行出来ない状態です。
だから人間の意志は通用しません。
脳の機能が停止したら、人間は死んでしまいますから、自分の意志では、復活なんか出来ません。自分の意志で、自由に身体を動かせません。死んでるからです。
また、生きていても、頭部にインパクトがあり脳には激しくダメージを受けたら、全身の神経が麻痺してしまい、生存に必要な脳の機能がなんとか働き寝たきりで生きているという人もいます。
事故や病気による結果、身体の不自由を抱えてしまう状態です、
自分に意識があっても、肢体不自由だから、自分の意志ではほぼ何にも出来なくなる方もいます。
中には呼吸すら自発できないので、人口呼吸器を装着しないとならない人もいます。
人口呼吸器を外したり、スイッチを停止したら、呼吸は出来ないから死んでしまいます、
脳に酸素か運ばれないからで、脳神経細胞は直ぐ死滅して、心臓も止まり、多臓器不全で死んでしまいます。
寝たきりでも生きられるのは、今日本では、社会保障と社会制度が充実しているからです。医療制度や医療保険制度や介護制度や福祉制度が以前より充実してきたからです。
そうでなければ、障害を抱えた人は、生きるに沢山の支障を抱えた状態で、自立した生活は出来ません。
みんなでお金と心や知識や技能を出し合い、相互扶助できるような社会が実は日本は既に構築されています。
フランスは、社会主義の国ですから、
フランス国民は、医療や教育などは、ほぼ無料でした、しかし、最近は、そうでは無くなってきていて、お金持ちと貧しい人の格差がさらに開いてきています。
それて、黄色いベスト運動などが起きている状況です、
つまり生活を支える基盤が変わり、あらゆる人々を支援する仕組みが失われてきているという状態です。
社会福祉や社会保障は、人間が作り上げて来た物事です。
基本は明日は我が身だからです。
自分が病気や事故にあい障害を抱え不自由を抱え無いとは誰も言えないからです。
その為に、皆でお金を出し合い、専門家も育成し、社会サービスをより充足して、
人々が何か不自由さや生活に支障を抱えても、よりよく生きられるように支援体制を構築してよりよく社会のしくみを改善していきましょうというのが社会福祉です、
しかし、物をつくるのは、
人の心が一番大切です、
だから物をつくる人の持っている考えが大切です、
つまり哲学です。
何を大切に大事にするかです、
人、物事、金、情報、知識、技術、信念、観念、感情や気分や感覚や、
目に見える物、目に見えない物
何を一番に大切に大事と認知して、
選択するのかの基準が指針が
倫理です。
今は、その倫理について、認知している人が非常に少ないです、倫理を排除してしまったのです、機能だけを優先的に選択するからです、何か出来るといこどけを非常に重視しているからです。
障害を抱えていると何も出来ない、だから無能な存在で、生産性も無いから、要らない排除するとなれば、
障害を抱えている人は、金ばかりかかり、無用だとなります。
これさナチスドイツ、ヒトラーの考え方、哲学です。
非常に恐ろしい考えであると理解できますし、人は金や物や能力に支配されている証拠でもあります。
障害というのは、能力障害や機能障害もありますが、
生命や人をどう受け止めるのがという認知や認識の障害もあり、人の存在そのものをどう受け止めて認識するかで変化してきます。
わたしは一番恵まれていない存在なんだという考えや思い込みは、結局は、利己的な言動を生み出して、他者を傷つけ侵害し排除してしまいます。
どんな人もその状態に関係なく平等に存在はしています。
存在の平等というのは、物質やお金を均等に分配する事ではありません。
一人一人か、ユニークで、大切で大事で貴重な存在だという事です、
邪魔で排除するべき人は誰も居ないのだという事です。
ですから、何らの障害があり、生活に支障を抱えているならば、適切な支援を必要充分に一人一人個別に用意して提供する事が望ましいです。
しかし、社会システムは、不完全でみんなのニーズを充足するにはやはり支障や障害を抱えています。
社会システムそのものに、欠陥や障害があるという事実がある事も理解してほしいです。
ソーシャルワークは、人のみならず、社会システムの改良や改善も仕事の対象です。
人を取り巻く環境にも働きかけて今よりもよりよい環境の構築を目指して実践していきます。
ソーシャルワーカーの奥田力
(社会福祉士、精神保健福祉士)
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