養育とは子供だけで無く、大人にもあてはまる言葉です。養う育むですから、セルフケアという言葉がありますが、セルフエスティームを土台にして、自分を適切に世話して養い育む事です。セルフエスティームは、自己肯定感と訳される事が多いですが、本来的な意味は、自己を適切に尊重するという事です。
自分の内も外もあらゆる良い善い悪いを、今のありのままの自分を素直に受け止めて、否認しないで、自分自身を慈しみの目で見つめる事です。
そこから、自分が抱えている問題や課題をよく調べ吟味し審査して、判断し、分類し、評価し、整理し、一つ一つの問題や課題を、解決していく為に、取り組んで行きます。
その課題や問題を解決するにも力がいります、能力がいります。
また、自分の課題や問題を調べ、判断、分類、評価、整理するにも、力と能力が必要です。
力とか能力の源は何かと言えば、自分自身の心身です。
自身の肉身や心や脳を傷つけたり侵害したりすると、心身は不調に成り、力も能力も欠如してしまいます、
人が人を傷つけ侵害するのは、相手の力と能力を無くして、自由に生きられないようにする為です、自分の思いに服従させ支配しコントロールする為です。
その不当な人を傷つけ侵害する行為から自分を守る行為も、自分を養育する事になります。
空手は、不当な侵害行為や破壊行為から、第一に自分を守る為の技術として、琉球の先人達により開発されて来たものです。
王と臣民と、国土とあらゆる人々の財産資産を守護する人々が武人ですから、
敵の攻撃に自分を守護できなければ、自分の役目は果たせないです、敵前逃亡なら、国は滅びます。
ですから、琉球の武人らは、武器の訓練もしたし、徒手、空手での自己防衛の訓練もしました。最後の最期まで、大切な生命と物を死守する為にです。
そういう命がけの鍛錬が、空手の始まりで、趣味事などではありません。
生きるか死ぬかの世界なのです。
だから強い人は弱い人に優しくするのです。
また、
時に人は、自分にとって滋養的な環境を自分から用意する必要もあります。
精神医療などでは、転地療養とか環境療法といったりします。
酷いいじめなどがある場合は、その場所に留まらないで、何処か、自分に安心と安全を十分に確保でき、心身の傷を癒し、回復する為の適切な場所を用意する事です、そこで傷ついた自分を慈しみ適切に世話して養生して、回復、復活します。リカバリーといいます。
他に、
オペラント条件付けなどの行動療法的なアプローチもありますが、今は褒めたり、トークンとか、良い行動を評価して、人の行動変化を期待するものです、いろんな場面で応用されています。学校教育などでも、バリバリ応用されている心理学理論です。学習理論などとも分野がかぶさります。
また、認知に関して、本人に気づきを促して、本人が自己に気付いて、自分の言動を分析して、行動を改善しようという意志を強化し、また物事の捉え方について、別の考え方を考えたりして、見方受け止め方の種類を増やして一つのアイデアや考えや観念や信念に縛られて支配されないように、自己をより自由に臨機応変にあらゆる物事に対処できる力や能力を養い育む為の、それを支援するという方法やアプローチもあります。
個人の持っている力や能力を、引き出す、ストレングス理論というのもあり、また、エンパワーメントという考えやアプローチもあります。
自分の生命をあらゆる危険やいじめや暴力や虐待行為や人を傷つけ侵害し破壊する行為から、保守するというのは、人が生きていく上で、よく学び習得した方が万人にとって良い事柄の一つだとおもいます。
世の中をサバイバルし自己防衛し自分の生命を正しく保守保持していく、という、力や能力を日本の武道の心技体を土台にして、習得していくのはメリットが大きいとも自分は思います。実践というのは、生きる為の実践だと、おもいます。
そうすれば、人は、適切に社会貢献が出来る人物に自分自身を養成できるとおもいます。
文責
ソーシャルワーカー奥田力
(社会福祉士、精神保健福祉士)
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